1995年03月20日・・・
東京都の地下鉄駅構内で同時多発テロが発生。
"TOKYO ATTACK" として世界中に衝撃を与えました。
小学生だった自分もTVに食らいついてみていたことを覚えています。
罪のない13名が死亡したこのテロはいったいなぜ起こったのか。
手短かに振り返ってみましょう。
月曜日の通勤ラッシュ
1995年3月20日(月) 午前8時ごろ・・・
現・東京メトロの日比谷線、丸ノ内線、千代田線の車内でサリンが散布されました。
乗客、駅員含め13名が死亡、6000名以上が負傷しました。
当時オウム真理教はエリートな人材を多数抱えており、日本転覆を狙っていました。その1年前の1994年 松本サリン事件や、その他多数の事件で、警察の強制捜査が始まろうとしていました。なんとか警察の強制捜査を引き延ばしにするために行った事件だったのです。
1995年の1月に阪神・淡路大震災が発生し、警察の強制捜査は延期されていました。3月に入り警察による強制捜査の噂が流れました。
▼阪神大震災についてはコチラ▼
東京・霞が関といえば外務省、財務省などの官公庁、検察、裁判所、公安警察があります。なのでここを狙いました。
霞ヶ関駅には上述の日比谷線、丸ノ内線、千代田線が乗り入れています。これら各省庁へ出勤する官僚などをターゲットにしたと考えられます。
ちなみに官公庁は月曜日には朝礼があるためいつもより早い8:30頃に多数が出勤するそうです。それを見込んでの犯行でした。
サリン(Sarin)
サリンは神経ガスの一種で、ナチスで開発されました。複数の開発者の名前からアルファベットを取って命名されました。化学兵器禁止条約によりサリンの生産、取得、保管などは禁じられています。
山梨県の上九一色村にある第7サティアンにサリンプラントを建設していました。ここでサリンの大量製造を計画していました。
ちなみに韓国語で”サリン”と発音すると・・・
살인(殺人)という言葉になります。
チョコっとだけ語学も・・・w
ゴミ箱の撤去
地下鉄サリン事件以降、多くの駅でゴミ箱が撤去されました。しかし、ゴミ箱設置の要望も大きく、中の見えるゴミ箱が現在設置されています。
今でも、G20とかでテロなどを警戒するときにときどき、大きい駅のコインロッカーやゴミ箱の使用を停止していますね。
国家転覆計画
オウム真理教は1990年の衆議院選挙に真理党を作って参戦しましたが全員落選しました。社会に受け入れられないことに対する怒りからテロなどの武力行使に走りました。
教団は11月戦争を計画していたこともあとの調べでわかっています。それは1995年11月に軍用ヘリコプターで東京上空からサリンを散布し大量殺戮を行うといったものでした。そして首都機能が麻痺した日本においてアメリカ、ロシア、北朝鮮を巻き込んだ核戦争を誘発するという計画でした。
これ以外にも首都圏爆破テロ計画など多数計画していたことが分かっています。
おわりに
世界を震撼させた25年前の無差別テロは警察の強制捜査を引き延ばしにするために行われた。
ここ最近、新幹線車内での殺傷事件などもありました。今の新幹線の便利さを損なうという理由で航空機のような持ち物検査は行われそうにありません。
持ち物検査をしても、伊丹空港で連続して刃物を見逃したという事象もありました。
悲惨な事件を未然に防げるようなシステム作りがこれからの課題です。