連続企業爆破事件の容疑者で指名手配中の桐島聡が末期胃癌で入院先の病院で、自ら名乗り出、身柄拘束されましたが、数日後に亡くなりました。
55年近く前の事件で、正直ピンと来ないですな・・・
今回は、霧島の属していた集団について学んでいきましょう。
新左翼
まずはこの言葉から知る必要があります。
ま、日本では右翼は『保守』で、日本古来の伝統を重視する立場の人らです。なので天皇性とかを大切にします。日本や日本人を大切にしようという気持ちが強く、やや排他的と見られることもあります。
一方、左翼は人類みんな平等という概念で、身分や天皇制に反対し、人権を最重要視します。
『差別をなくそう』、『外国人にも平等に』、『監視社会ダメ⇒マイナカード反対』といった主張が見られます。
で、これら”既成左翼”は旧社会党(現・立憲民主党や社民党)とか共産党のことを表しますが、この左翼が「口だけで何も行動しない」ということで・・・
1960年代くらいから、当時の大学生らが「日本を変えよう」という左翼思想を持ちつつ、口だけでなく実行に移すということを決めて次々に政治団体ができました。
これらをまとめて”新左翼”と呼びます。
ま、要は暴力行為、テロ行為をするヤバい左翼集団のことで、警察白書では極左暴力集団と呼んでいます*1。
法政大学でスタート
法政大学文学部史学科にLクラスという学級があったようで、そこで結成されたのが『Lクラス闘争委員会』です。
当時の学生は血気盛んで、”学費値上げ”とかになると、ストライキして大学に立てこもったりしていました。
この"Lクラス"は後に、戦時中に日本帝国がアジアで行ってきた悪行を研究する研究会に変わりました。その時に、資料とした書籍が朴慶植(パク・キョンシク)の本です(; ・`д・´)
わかる人はわかると思いますが、この人は朝鮮大学の教員で、北の国の思惑(指示?)通り日韓離反の為に活動したという指摘*2があります。
韓国のベストセラー『反日種族主義』でも彼については言及があります。
いずれにしても、日本の伝統を壊したいと考える左翼にとっては、こういった日本は悪い国だったという主張は都合がいいわけですね。
ま、こういった主張・拡散が日韓の外交問題に影響を与えたのであります。
ヤバい思想
さて、反日思想を強めていく集団は、さらに行動をしない既成左翼を批判し、自分たちは行動に出ようとゲリラ戦の研究、武力闘争も取り入れていきました。
そして、薬学部の学生も中に入り、自家製爆弾などを作り、1971~1972年、日本帝国主義の象徴となる像や観音を次々爆破していきました。
1972年、彼らは名称を東アジア反日武装戦線としました。
勢いづいた集団は、1974年、なんと昭和天皇暗殺を試みました。お召列車ごと爆破する計画を立てますが事前にバレ、諦めました。
そんなときに韓国で事件が起きました。
文世光事件
当ブログで何度か取り上げた、文世光事件(1974)です。
▼文世光事件▼
韓国の朴正煕大統領暗殺未遂です。在日韓国人の文世光が朝鮮総連の指示を受け、大阪の交番で盗んだ拳銃を持って韓国へ乗り込みました。
朴大統領は無事でしたが、横にいた奥様が凶弾に倒れました。
この事件を知った、東アジア反日武装戦線は、自分たちが天皇暗殺を実行できなかったことを悔やみ、さらなる行動に出ることを決めました。
連続企業爆破事件
次に狙われたのは、三菱重工でした。
戦前~戦中の日本を支えた企業は”悪”であると考えたからです。そういや徴用工問題もこの会社で”戦犯企業”と呼んでいる国がありましたが・・・はて
▼徴用工問題の真実▼
1974年8月30日、丸の内にある三菱重工本社ビルで時限爆弾を設置し爆破させました。これにより8人が死亡しました。
そして、その後も”悪”とされた財閥系企業などで次々と爆破、これが連続企業爆破事件と呼ばれるものです。
こうして、実行犯らは全国指名手配になっており、その中に今回ニュースになった桐島聡も含まれていました。
韓産研爆破事件
連続企業爆破事件の中で一つだけ謎があります。それは、韓産研爆破事件です。
自らを『反日』と名乗っているグループで、戦犯企業にテロを起こしているのになぜ韓国産業経済研究所を爆破したのでしょうか?
ここは多くの人にとって疑問となるはずです。
一つ言えることは、当時の韓国は今の韓国と違うことです。
軍事独裁政権で、親米国であり、それほど反日でもなかったのです。
そして、当時の日本の左翼らからすれば、朝鮮半島の正統な国は北朝鮮であり、韓国はアメリカの傀儡国として考えられており、打倒すべき対象と考えていたというのが有力な説でしょうね。
ふむ、日本にもこんな時代があったんですな~
ではまた(^^♪