1995年1月17日 午前5時46分
淡路島北部沖を震源とするM7.3の地震が発生し6434名の尊い命が犠牲となりました。
小学生だった僕も今もよく覚えています。
この阪神・淡路大震災について違う切り口から振り返ってみます。
あれから何が変わったのか・・・
※画像は阪神・淡路大震災と直接関係ありません
#阪神淡路大震災の名前
気象庁は「平成7年 兵庫県南部地震」 と命名しました。
メディアでの呼称は各社の裁量に任されていました。
毎日新聞が「阪神大震災」と呼び始め、徐々にメディアで広まります。
その後、閣議で正式名称も『阪神・淡路大震災』に変更することが決まりました。
#震度7
震度7というのは昭和23年の福井地震を機に作られた基準。
家屋の倒壊が30%以上に及び, 山くずれ, 地割れ, 断層などを生じる.
震度7が初めて適応されたのがこの阪神・淡路大震災でした。
震度は0~7までの10段階(5と6は弱・強の2つずつ)あります。
ただしこの『震度』というのは日本独自のものであります。
こちらは地震の揺れの大きさを示すものであり、地震の規模を表すマグニチュードとは違います。
マグニチュードが1増えるとそのエネルギーは約32倍になります。
#交通網の麻痺
阪神高速3号神戸線が倒壊した写真はニュースで何度も見ましたね。
また、国道28号線の陥没などもありました。
中国自動車道でも吹田JCTと西宮北ICの間が不通となったことで
迂回路の貧弱さが問題となりました。
鉄道でもJR西日本、阪急、阪神、山陽などがすべて長期の不通となりました。
JR西日本はJR他社からの協力を得られ一番早く復旧を果たしました。
それにより利用者のシェアはJRに移っていったことは以前ブログでも扱いました。
▼JR・阪急・阪神のライバル史はコチラ▼
multilingual-doctor.hatenablog.com
#瓦礫・アスベスト問題
倒壊した家屋の塗料に使われていたアスベスト吸入による悪性胸膜中皮腫発生に関する懸念があります。
#災害拠点病院
阪神・淡路大震災を機に全国に設置されました。
災害発生時に災害医療を行なう医療機関を支援する病院のこと。
条件には耐震・耐火性やヘリポートの確保などが挙げられています。
#DMATの発足
Disaster Medical Assistance Team
災害派遣医療チームのこと。
阪神・淡路大震災の反省を機に2005年に発足しました。
新潟中越地震や、福知山線脱線事故、秋葉原通り魔事件、平成30年7月豪雨などで出動している。
災害だけでなく事故、事件でも出動していることがわかりますね。
#地震保険の加入者増加
阪神・淡路大震災を機に地震保険への加入者が増えました。
地震保険は火災保険との同時加入が条件となっています。
地震による火事に対して火災保険を請求しようとしたが「地震による火災」のため地震保険未加入では支払われなかったようです。
過去これに関して裁判も行なわれているが最高裁での判決は被災者の敗訴でした。
マイホーム購入の際はお忘れなく。
#再開発事業の完了
震災から25年となる今年、特に被害の深刻だった新長田での再開発もこの2月で完了することがこないだ発表されました。
これは明るいニュースですね。
人口減に悩む神戸市はこれから三ノ宮駅前の再整備や垂水、名谷、西神地区の再整備が予定されています。
このように地震から25年・・・
新しいものができたり、いままで不十分だったところを見直したりと
少しずつ社会は変化しつつあります。
医療の分野でもDMATの編成など大きな変化をもたらしたのもこの地震でした。
もちろんまだまだ課題はたくさんあります。
大都市集中型の日本は大都市が被災した時に他の地域にも被害が及びます。
交通網も首都圏や、大都市を中心に発達してるため、大都市を通らないバイパスなどの建設などもこれからの課題となるでしょう。