マルチリンガル医師のよもやま話

マルチリンガル医師の世界観で世の中の出来事を綴ります

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アメリカよ、メートル法使ってくれ

英語を勉強してる人なら誰もが感じたことがあるはず。

なんでアメリカ人はメートル法使わずに、フィートとかヤードとか使うねん!

世界に合わせろよ!

今回はこの辺、解き明かしていきましょう*1

メートル法の登場

フランス革命後の1790年、フランス科学学会は政府の要請により新たな測量単位系を考案することになりました。

そこで科学学会は、世界で普遍的に長く使えるものを考案しようと考え、万国共通の自然のモノを基準にしました。

メートル法とは

そして、赤道から北極までの距離(=地球1/4周)を1000万kmと定義してできたのがmという単位です。

メートル法のいいところは、すべて10進法だというところで、わかりやすいです。

すると、当然多くの国がこのメートル法を採用していきました。

温度に関しては、我々日本人も使っている摂氏というものがあります。

摂氏と華氏について

これも水が凍る温度を0℃沸騰するのを100と定義してから作られたもので、成り立ちはメートル法と似てますね。

しかし、アメリカでは依然として、ポンド、ヤード、華氏という単位系を使っています。

ヤード・ポンド法

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大英帝国から独立

当時使われていた単位系は大英帝国で使われた帝国単位を使っていました。

その頃、世界では非植民地化が進められ、帝国単位を捨てることを多くの国が夢に見ていました。

アメリカも1776年に大英帝国から独立しましたが、国内ですら単位はバラバラ。

ジョージ・ワシントン

初代大統領ジョージ・ワシントンは、通貨と測量系について国内で統一したものを使う必要があると考えました

通貨に関してはドルという10進法のものが誕生し、商人の取引も便利になりました。

そして、長さや重さの測量系も、10進法であるメートル法がおそらくアメリカに入ってきて使用されることになるだろうと考えられました。

ところが測量系に関しては、かつての英国植民地時代の単位が産業と国民生活に深く根付いており、ヤードやポンドのまま使うことを人々は選びました。

フランスでも苦労

古くからの慣習が根付いており、新しいものを受け入れないというのであればフランスでも同じはずです。

そう、フランスでメートル法が使わるようになるまで何度も衝突がありました。

当時はフランス国内だけで25万を超える測量系があったと言われています。

商人らはメートル法により、混乱が減ることに大いに喜びました。

フランス革命がメートル法のきっかけ

しかしそれ以外の一般の住民は、慣れ親しんだ測量系を続けようと抵抗しました。

というのも、古い測量系は1日の長さや、収穫までの期間など自分たちの生活にとって都合の良いものを基準にできていたからです。

19世紀に入ってから政策としてメートル法を強制しますが、やはりまだ民衆の間ではなかなか浸透しませんでした。

徐々に周辺欧州国での教育・商業・科学・輸送の発展により、共通単位の重要性が認識されていき、メートル法はついに市民権を得たのでした。

アメリカ人の反抗

メートル法という新たな基準は、アメリカにも伝えられる予定となっていました。

第3代アメリカ大統領のトーマス・ジェファーソンは幼少期からフランス語の勉強をし、フランス革命直前は駐フランス公使としてパリにいた”親仏派”でした。

フランスからの新たな単位系の到着を待っているところでした。

トーマス・ジェファーソン

しかし、それを伝えるべく派遣されたは科学者は嵐に遭い、遭難し海賊につかまってしまい、アメリカに着くことはありませんでした。

また、当時のアメリカ国民は、遠くからやってくる”グローバル化”という見えない力に憤りを感じ、抵抗していました。自分たちの事は自分たちで決める、外来のメートル法を受け入れない一番の理由は、こうした彼らの意地だったのです。

安定すると、変化を望まない

アメリカでは独立後は、選挙が行われるようになり、クーデターや革命という物とは無縁となりました。

国が安定すると、わざわざわざわざ今安定したものを壊す必要性を誰も感じません。

英国もメートル法

さて、帝国単位は大英帝国のものでした。

その元の英国はどうしたのでしょうか?

英国がメートル法に移行し始めたのは1970年代になってからで、それまでは誇り高き帝国単位を使用していました。

英国病とは??

1960年代から続く経済成長鈍化でフランスやドイツや日本に抜かされていき、『英国病』と呼ばれ揶揄されました。

大規模な方針転換が必要と考えられた英国では、メートル法を使うことにした他の欧州の国々とも貿易をスムーズに行うためにも、ついにメートル法に舵を切りました。

しかし、やはり一般国民たちらからすれば『面倒』に過ぎず、まだ帝国単位も残っています。

例えば、道路標識にはマイル表記も残り、パブでのビールは“パイント”で提供されます。

同じ頃、米・ジミー・カーター政権も英国のようにメートル法を取り入れようとしましたが、うまくいきませんでした。

1975年にメートル法導入の法を通しましたが、『強制』でなく『任意』でした。

結局、国内で大きな変動がない限り、今後もアメリカでメートル法が広がることはなさそうです。

では、また(^^♪