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沖縄本土復帰50年について

去る5月15日は沖縄返還から50周年の記念日でした。

今回はこの沖縄返還についてさらーっと復習していきましょう。

琉球と沖縄

14世紀ごろは三国時代でしたが、15世紀に統一され琉球王国となりました。国王が住んでいたのが首里城(スイグスク)です。

当初は『流求』という名で書物が残っています。冊封体制で中国の王様に貢物をして”国王”として認めてもらっていました。それもあり、王へんの漢字に変わった?のでしょうか。

琉球と沖縄

琉球という名前は正式ではなく、自ら名乗ったことはありませんでした。8世紀の書物では「阿児奈波(あこなは)」というものが確認されており、これが『おきなわ』や『うちなー』に音が変わったという説があります。

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琉球処分

琉球王国は明と日本との中継貿易で栄えていました。

中継貿易で栄えた

明に貢ぎ物をして見返りにたくさんの明の品をもらい、それを日本や他のアジアの国に売って利益を上げていました。

これに目を付けた薩摩藩は幕府に許可をもらい琉球に攻め入り、征服しました。

琉球処分

日本は1872年に琉球藩として正式に日本の一部としましたが、琉球藩は引き続き清との交易を続けようとしました。

日本政府は実力行使に移り、1879年に琉球国王を東京へ移し、琉球藩を廃して沖縄県を置きました。

第二次世界大戦

太平洋戦争では、米軍の上陸により沖縄本島が戦場となり3ヶ月の間、民間人も多く命を落としました。

1945年6月、戦闘は終了し、沖縄は米軍占領下に置かれるようになりました。

沖縄→OKINAWA

その後、8月に日本の敗戦により終戦となりました。

1952年のサンフランシスコ講和条約で日本は独立しましたが、沖縄はアメリカの支配に置いておき、琉球政府を作りました。つまり、沖縄は一応日本だけど、アメリカが支配しているという状況で、渡航にはパスポートが必要でした。

なぜこのような状況になったのでしょうか。

朝鮮戦争とベトナム戦争

1950年に朝鮮戦争が勃発しました。これは朝鮮半島での米ソの代理戦争です。

つまり、米ソ冷戦の時代に突入したことで、沖縄が地理的に重要な場所になったのです。アメリカからすれば、ソ連や中国を監視・牽制するには沖縄を軍事的拠点としておきたかったのです。

ゆえに、1952年に日本は主権を取り戻しても、沖縄だけはアメリカの支配下に置かれました。

沖縄は戦略的に重要な地

その後も沖縄の本土復帰への声は続きますが、またまた大きなことが起こりました、ベトナム戦争(1960年~)です。アメリカ軍が戦争で爆撃などを行うのに沖縄の基地は重要で、アメリカとしてはなかなか譲歩できない状況でした。

島ぐるみ闘争

”戦争中”特例として、沖縄の土地を占有してきたアメリカですが、サンフランシスコ講和条約で戦時から平時になったため、こういった土地の占有が認められなくなりました。

すると、元々の土地の所有者が土地代支払いを米軍に要求するようになりました。この声は沖縄全体に広がり”島ぐるみ”の闘争が始まりました。

島ぐるみ闘争

アメリカ側は対抗して、米軍関係者を沖縄の民間地域の立ち入りを制限オフリミッツ)しました。こうなると、米軍関係者で潤っていた基地周辺のお店などは大打撃です。

最終的には、沖縄の人たちが土地代の引き上げに成功し、問題は解決しました。

日米安保条約

日本は戦後、軍を持てない状況でしたが、朝鮮戦争のときに在日米軍が抜けた穴を埋める形で警察予備隊(=自衛隊)が作られました。

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戦後の日本では、平和を求めるだけでなく、戦争からの復興が大きな目標でした。

防衛費を縮小して経済成長にお金を使いたい。。。

日米安保条約

米軍に守ってもらって、浮いたお金で復興を早めようという『軽武装・経済優先』の道を選びました。こうして、1960年 日米安保条約が締結されました。

つまり、米軍が引き続き日本に駐留することが決まったのです。

沖縄返還

ベトナム戦争の泥沼化で、アメリカの財政事情も苦しくなっていました。

そんな中、ベトナムからの撤退を公約に掲げたニクソン大統領が就任したのです。

先ほども書いたように、沖縄では米軍基地の土地代をアメリカが支払い続けています。この費用もかなりかさみました。日本に返還すれば日本政府がこの土地代を支払うことになります。

沖縄返還

また、沖縄をアメリカの支配下に置く費用も、日本に返還することで負担が減ると考えました。

日本は沖縄返還時に「特別支出金」として 3億2000万ドルをアメリカに支払いました。

残る課題

1972年 5月15日、沖縄は日本に復帰しました。

日米安保条約で、日本には米軍の駐留が続きます。沖縄以外の米軍基地は主に旧日本軍の基地を使用していますが、沖縄では大部分が民有地や市町村有地です*1

アメリカ軍専用施設面積の約70%が沖縄県に存在していることも指摘されています。国防の意味ではそれだけ重要な場所でありますが、県民からすれば『なぜうちばかりが!』という不満があります。

返還後の沖縄

沖縄県は貧困率が高く離婚率も高く生活保護の世帯の割合も非常に高く、大学進学率は非常に低い*2です。

高度経済成長期の後に返還されたため、その恩恵を受けることができませんでした。

近年は観光業が力をつけてきており、コロナ前の令和元年の観光収入は7500億円と、10年で2倍になりました。それでも、まだまだ一人当たりの所得は他県と水をあけられているのが現状です。

さいごに

いかがでしたか。

沖縄は琉球王国として日本と中国の中継貿易で栄えていましたが、日本に無理やり組み込まれました。太平洋戦争では、”唯一の地上戦”と呼ばれるように、民間人を含む多数の死傷者が出ました。

沖縄は日本の敗戦より前に、米軍の支配に置かれ、戦後も冷戦などの国際情勢により、アメリカが手放すことはありませんでした。

戦後復興にやっきとなる日本も防衛費を削って、経済に全力投球できるように日米安保条約を結び、それにより高度経済成長をしたわけです。

ベトナム戦争の泥沼化により、アメリカの財政事情も悪化し、沖縄の統治費や米軍基地の土地代などの負担を減らすために日本への返還に舵を切りました。

1972年に日本に返還された沖縄は、高度経済成長期を享受できなかったこともあり、他県から大きく出遅れており、その格差は今も残っているのでした。

また、中国・ロシアを牽制するには沖縄に米軍基地を置いておくのは戦略的に非常に有用ですが、米軍基地のほとんどを沖縄にあるという『負担』のバランスが問題となっているのでした。

 

では、また(^.^)ノ