5月に起きた未解決事件といえば、狭山事件があります。
ジブリの『となりのトトロ』は狭山事件をモチーフにしたという都市伝説がありますが、ジブリは否定しています。
今回はこの狭山事件について学んでみましょう。
トトロの都市伝説
まずは有名な都市伝説に少しだけ触れておきましょう。
トトロに出てくる女の子の名前はサツキとメイですが、これはどちらも5月を意味します。そして、作品中に”狭山”という地名が出てきますし、狭山茶も登場します。
他にも出てくる松郷や七国山(実在するのは八国山)などからも、舞台は埼玉県所沢市だと考えられています。映画内では昭和30年代を示す日付が見られます。
ちなみに宮崎駿さんの自宅があるのは所沢*1です。
ちなみに、狭山市は所沢市の”となり”なので、『(狭山の)となりのトコロ(ザワ)』!そして内容が狭山市で起きた狭山事件を意識している?という説ですな~
さて、そんなこんなで、ここからは狭山事件について学びましょう。
狭山事件とは
狭山事件は1963年(昭和38年)5月、埼玉県狭山市で発生した女子高生強盗強姦殺人事件のことです。”昭和30年代”、”5月”、”狭山”。。。!!
高校1年の女子が誘拐され、身代金要求されました。警察も動き出しますが、犯人は警察に気づき逃走、その後少女は強姦され殺害された状態で発見されました。
犯人として逮捕されたのは24歳だった石川一雄*2という人物です。石川は一審では罪を全面的に認め、死刑判決を受けました。
しかし、二審で東京高裁に行くと、石川は冤罪を主張し始め、最終的に無期懲役となり、1994年に仮釈放になりました。
石川は、被差別部落の出身であったことから、この事件は『部落差別』と関連付けられ、大きな社会問題に発展しました。
要は、部落出身であることを理由に不当に犯人にしたてあげられた冤罪だという説が広がったことがこの事件のポイントです。
ここからはもう少し詳しく見ていきます。
識字能力の問題
少女が誘拐されたときの脅迫状は、誤字・脱字が多く、意味が通じない箇所も多数ありました。
脅迫状は青いボールペンで書かれており、意味不明の言葉やひらがなとカタカナがごちゃ混ぜで、漢字の使用も不適切なものが散見されました。
これにより犯人の教育水準は低いことが想定されました。
姉と犯人
となりのトトロでは行方不明のメイを姉のサツキが探しましたね・・・
狭山事件では、妹が失踪し、脅迫状に指定された場所に、偽札を持って姉が出向きました。刑事が40人ほどその周辺に潜伏していました。
ここで、姉は犯人と12分も話をしました。ところが、刑事は主に車道近辺に張り込んでおり、現場にはあまりいなかったのです。犯人は刑事の存在に気づき逃走しました。
また、姉の隣には教育振興会会長が付き添っていました。この人は犯人を見ています。目撃者Aとしましょう。後でまた出てきます。
後に、逃げた犯人の足跡を追いかけると、養豚場に行きつきました。
この養豚場は、経営者を含め多くの部落出身者、前科持ちが働いていました。また地元でも不良のたまり場として知られていました。
B型とトマト
失踪の2日後、近くの農道で埋められた遺体が発見されました。
司法解剖の結果、少女は死亡前に強姦されており、採取した精液から犯人はB型とわかりました。死亡推定時刻は失踪した5月1日の午後4時頃でした。つまり、犯人が姉に会った時は既に殺害後でした。
また、遺体の胃の内容物からトマトを含む複数の野菜も見つかりました。胃に残っているということは死亡の2-3時間前に食べていたことになります。
事件のあった日、調理実習でカレーライスを食べていますが、トマトはありませんでした。つまり、殺害される前にトマトを食べているのです。
仮に犯人と一緒に食べていたとすれば顔見知りによる犯行です。
養豚場のスコップ
警察は近くの聞き込みを行っているうちに、養豚場からスコップが無くなっていることがわかりました。
その後、スコップは発見され、付着した土を調べると遺体の見つかった地点の土と一致しました。
そのスコップの存在は、養豚場関係者以外知りえず、また、養豚場の番犬に慣れていないと盗み出せないことから、警察は養豚場関係者に目を付けました。
養豚場関係者で血液型がB型なのは石川一人だった*3のです。また、石川が識字能力が低いことも事実でした。
しかし、これだけでは彼が犯人とは断定できません。
石川の逮捕
事件から3週間が過ぎて、石川は逮捕されました。
罪状は暴行、窃盗、恐喝未遂容疑です。そう、つまり別件逮捕です。
しかし、その後、石川は少女のカバンの捨てた場所を自供し、その場所からカバンが見つかったり、筆跡鑑定なりと証拠はどんどんと集まっていきました。
本人から自供もあり、強盗強姦殺人・死体遺棄容疑で再逮捕となりました。
自供内容*4によると、かねてから被害者と顔見知りで、当日は冗談でからかったら無視され逆上して殺したと供述しました。
冤罪説
しかし、死刑判決後の二審以降、突然石川は無罪主張を始めました。
実は部落解放運動家が石川に接見し、無罪主張するように指示*5しました。
石川は警察に嘘の供述をさせられ、自分にはアリバイがあると主張しましたが、そのアリバイは後に虚偽であることが証明*6されています。
石川は当初、被害者家族にも謝罪の手紙*7を書いています。普通に考えれば彼が犯人でしょう。
では、なぜこのような”陰謀論”がはびこったのでしょうか?
犯人取り逃がし
実は狭山事件が起きる1か月ほど前、東京で4歳の少年が誘拐され殺害された事件がありました。そのとき、身代金も奪われた上に、警察はその場にいたのに犯人を取り逃がしたのです。
その直後の狭山事件でも取り逃がしもあり、警察は非常に厳しい批判にさらされていました。
警察の威信をかけた捜査は、何としても犯人を捕まえてやるという気持ちがあったのは確実でしょう。このような背景もあり、なおさらこの冤罪論は声が大きくなりました。
6人の不審死
さらに冤罪論が大きくなったのが、6人の不審死です。
事件直後に、被害者宅の元使用人が自殺。その数日後に、警察に不審者目撃を通報した男が自殺。ちなみに彼は石川の競輪仲間*8でした。
事件から1年経って、被害者の姉が自殺します。その後も養豚場の関係者、被害者の兄、事件を追っていたルポライターが変死。と15年の間に6人が不審死しているのです。
もう少し、範囲を広げると他にも、被害者の姉とともに身代金受け渡しの場に立ち会った目撃者Aや証拠品の発見者、担当検事が急死していたり、複数の失踪者がいるのです。
このような不審死が相続き、真犯人がいるという憶測が広まりました。
左翼による持ち上げ
このように世間に注目されると、政治問題に利用されてしまうのは今も過去も同じです。
部落差別問題として、日本部落解放同盟と日本共産党が石川を支援するようになりました。
そのような運動が大きくなり、カンパ金も石川に届くようになると、「今月のカンパは少ねぇなー」と笑ってぼやいたりした*9ようです。
この支援団体は地裁や法務省や裁判官にテロ行為や放火を繰り返しました。
本人はある意味左翼に持ち上げられ、お金も集まり、そのお金で車やビルを買ったという証言*10もあります。
石川は1994年に仮出獄し、支援者の女性と結婚して*11暮らしています。
さいごに
いかがでしたか。狭山事件は謎が多く残っており、被差別部落出身の石川という男が無期懲役刑になりました。証拠の数々や自供からは彼が犯人とされましたが、突然の否認と冤罪主張を始めました。その裏には大きな左翼勢力の支援がありました。
これを知って、改めてとなりのトトロを見ると、かなり左翼的な宮崎駿氏が作ったこともあり、なんとなぁく少しはこの事件意識してるのかも~と思えてきます。
信じるか信じないかはあなた次第です。(笑)
では、また(^.^)ノ