マルチリンガル医師のよもやま話

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【サク読み】バレンタインデーにまつわる悲劇

今年のバレンタイン商戦の特徴は『自分チョコ』の高級化だそうです。

日本では長らく義理チョコ文化が根付いていましたが、時代とともに友チョコが人気になり、コロナ禍での自粛や人に手渡しを避ける傾向から自分チョコというのがトレンドになっているそうな。

バレンタインデーでしきりに思い出すことがあります。

直属の先輩のイケメン外科医は、毎年バレンタインになると大量にチョコをもらい、医局の冷蔵庫を占有する上に、「これみよがしにチョコを食べてくる」というさらに先輩からの苦情が出ておりました。(笑)はい、社会というのは冷酷なものなんです~見た目は大きなファクターということですな。

さて、今回はバレンタインデーにまつわる悲劇を復習しましょう。

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実は2年前にもこれの内容書いたんですが、update版です(笑)

2年前に読んでいただいた方にも”復習”としておつきあいください。

恋人たちの日

今から2000年前のお話です。

ローマ帝国の皇帝クラウディス2世は、兵士の婚姻を禁止しました。愛する者を残して戦場に行くとなると、兵士の士気が下がるからです。当然死にたくないので、積極的に戦わなくなります。

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兵士の婚姻を禁止した

しかし、いつの時代も男と女がいれば恋が芽生え、一生の愛を誓うもんです。

キリスト教の司祭であるバレンティヌスは、こうした兵士たちをかわいそうに思い、秘密裏に結婚式を行っていました。

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バレンティヌスは処刑された

ところが、あるとき皇帝がそのことを知り、バレンティヌスに警告しました。

しかし、彼は結婚式をやめませんでした。すると、怒った皇帝はバレンティヌスを処刑しました。それは2月14日のことでした。

バレンティヌスの死を悼み、この日を「恋人たちの日」とし祭日にしたのです。

日本のバレンタインデー

戦前に日本に住んでいた外国人の影響で、日本でも少しずつバレンタインデーの文化は広がっていきました。神戸は「日本バレンタイン発祥の地」とされています。

1854年に鎖国が終わって、複数の港を開き、海外との貿易を開始しました。そして、その港町には外国人がまとまって住む外国人居留地が作られました。

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開国と外国人居留地

約50年ほど続いた居留地は順次撤廃されますが、神戸と横浜では引き続き交流が続けられました。それにより、神戸に西洋の文化が根付き、西洋菓子などのお店も多いのです。

そして、神戸にあるモロゾフ製菓がバレンタインチョコの文化を考案したと言われています。

神戸異人館と居留地

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独自の文化

女性から男性に送ることとチョコレートを贈ることは日本独自とされます。海外では男性から女性に花やクッキーなどを贈ったりもします。

その日本独自文化はさらに発展し「本命チョコ」や「義理チョコ」なんて言葉まで生まれました。

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独自の文化

1970年代頃は呼応する形でホワイトデーの文化が定着し始めました。

因みにお隣の国・韓国にはブラックデーと言うものがあります。これはバレンタインデーもホワイトデーも縁がなかった人たちが4/14に集まってコーヒーやジャージャー麺などの黒いものを口にするイベントです。

モロゾフの悲劇

上でも書きましたが、神戸にあるモロゾフ製菓が最初にバレンタインイベントを行ったとされます。本店があった阪神御影駅前には「バレンタイン広場」があります。

モロゾフ氏はロシア革命(1917)を逃れ、1924年に家族とともに日本・神戸に来ました。そして1931年に神戸モロゾフ製菓を始めました。

そしてその店を手伝った息子の名前は偶然にもバレンティン(Valentine)だったのは運命でしょうか?

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モロゾフ製菓

このモロゾフ製菓を始めるにあたって、葛野という男に出資をしてもらうことになりました。順調に売り上げを上げていきましたが、2年ほどたって会社の経営方針を巡って葛野と対立を深めていったのです。

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人間関係をまとめると

要は葛野は、人気のモロゾフの全権を奪い取ろうとし、法的闘争になったのです。すると、調停中に葛野の親戚はモロゾフに次のように言いました。

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モロゾフに放った一言

モロゾフ一族はモロゾフ製菓から排除され、モロゾフ製菓の名称使用禁止とされてしまいました。

そう、拒否すれば、逃れてきたソビエト連邦への強制送還です。設立者のモロゾフ氏はこうして敢え無くモロゾフ製菓から排除されました。

これには裏がありまして、葛野家は日本共産党と深い関係にあるんですね。

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日本共産党との関係

つまり、ソ連の共産主義から逃れてきたモロゾフ一族にとっては、『通報』されるリスクがあったのですね。

コスモポリタン製菓

戦後、息子のバレンティンがコスモポリタン製菓を開き、その後も順調に経営を行い、東京・大阪に支社も出しました。

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私の会社は『モロゾフ』じゃない

親子で築き上げたモロゾフ製菓はいまや自分たちの物でなく、自分の名前なのに名乗れない。そんな悔しさをバレンティンは口にしました。

1999年、バレンティンはこの世を去り、息子にコスモポリタン製菓を明け渡しましたが、2006年、業績不振により、自主廃業となってしまいました。

マクドナルド兄弟の悲運

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まとめ

バレンタインデーは結婚を禁止された兵士のために秘密裏に結婚式を行った司祭にちなんで作られた恋人の祭日である

日本では戦前から広まり始め、その後ホワイトデーなど独自の文化ができた

海外では必ずしも【女→男】【チョコレート】ではない

日本で最初にバレンタインチョコを考案したモロゾフ一族には悲しい物語がある

 

では、みなさん Happy Valentine's Day!