神戸牛のステーキの店は行列で外国からのお客様もよく見かける。 でもなぜこんなにKOBE BEEFが有名になったのだろうか。今回は神戸ビーフについて学んでいきましょう。
もともとは但馬牛
兵庫県で育った黒毛和牛は但馬牛(たじまうし)と呼ばれます。その牛から取れた牛肉で基準を満たせば「但馬牛(たじまぎゅう)」と呼びます。
そう、もともとは兵庫県北部にある但馬地方で育った牛なのです。
当時は農家の作業などに牛を使っており、食べることはありませんでした。明治時代になり日本でも食肉の文化が広まりさらに注目を浴びました。
品種改良のために雑種生産をしたため「純血種」が絶滅したのです。ところが、奇跡的に4頭だけ純血種が残っていることがわかりました。
今現在出回っている但馬牛はすべてこの4頭の血がつながっています。
但馬牛(たじまうし)ブランド
但馬牛(たじまうし)から取れる牛肉のブランドには
- 但馬牛(たじまぎゅう)
- 神戸牛 or 神戸ビーフ
- 淡路ビーフ
- 三田牛
などがあります。
但馬牛(たじまうし)からとれた牛肉である条件を満たせば、但馬牛(たじまぎゅう)と呼ばれます。
その但馬牛(たじまぎゅう)のうち、さらに細かい条件を満たせば神戸牛または神戸ビーフと呼ばれます。
要するに一級品が神戸ビーフと呼ばれるわけですね。
淡路ビーフ
もとは但馬牛(たじまうし)だが淡路島に連れていき、独自の飼料・飼育でできた牛から取れた牛肉のうち一定の基準を満たしたものを淡路ビーフと呼びます。
注意:「淡路牛」というのは単に淡路で育った牛。
淡路牛 < 淡路ビーフ です
結局、神戸牛も淡路牛も元をたどれば但馬牛なのです。ただそれらの中で品質のいい物をブランド名【〇〇ビーフ】と呼んでいます。
神戸ビーフの歴史
1868年 神戸港開港
当時はまだ日本では食肉文化は普及していませんでした。
日本に来たイギリス人が農作業用の牛(但馬牛)を食べて感激をしたことが始まりと言われています。
その後、神戸に外国人が多く住むようになり、多くの外国人が神戸で牛肉を楽しんだそうです。
▼日本開国後の神戸の居留地について▼
初代兵庫県知事となった伊藤博文はイギリス留学経験もあり牛肉を好んで食べていたことも知られています。その後、徐々に日本人の間でも食肉が広まりました。
神戸ビーフの輸出
「神戸ビーフは神戸で食べてください」
このような時代が続いていましたが、神戸ビーフの人気が世界中で広まる中、偽物が出回り始めたのです。
このままでは神戸ビーフの名に傷がつくと、2012年になってついに神戸ビーフの輸出を許可しました。