マルチリンガル医師のよもやま話

マルチリンガル医師の世界観で世の中の出来事を綴ります

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民主主義までのいばらの道

日本は戦後、強制的に民主化され、現代では当たり前のものとなっています。

しかしながら、独裁政治から民主化を勝ち取るには甚大な犠牲があります。中国を見ればわかりますね。

今回は42年前の5月に起きた光州事件に焦点を当てて、韓国の民主化までの道のりを見ていきましょう。

韓国内の地域対立

まず、背景として韓国内での地域対立について知っておきましょう。

後三国時代(892-936年)に遡って、後百済(現在の全羅道)と新羅(現在の慶尚道)は隣同士で不仲でした。今回のテーマの光州(クァンジュ)は後百済にありました。

韓国の地域対立

後三国時代が終わり、朝鮮半島を統一した高麗は人材登用において全羅道(後百済)を差別しました。こうして全羅道差別は薄れながらも今も残っています。

『7時』とは

7時(일곱시 イルゴプシ)とは、朝鮮半島を時計に見立てたときに、全羅道の位置を表しています。他にもガンギエイ(홍어)という言葉もあります。

軍事独裁政権

1945年、日本の敗戦により朝鮮半島は北側をソ連が、南側はアメリカが統治するようになり、1948年に現在のように北朝鮮と韓国となりました。

1950年に勃発した朝鮮戦争で国内は荒廃化し、経済状況も悪化していた中、1961年軍事クーデターが起こりました。この首謀者が朴槿恵の父親、朴 正煕(パク・チョンヒ)です。

朴正煕(パク・チョンヒ)大統領

韓国軍の腐敗や、経済苦境を”口実”に、軍事クーデターを起こし、後に大統領に就任しました。元々は南朝鮮労働党という共産主義の政党に属していましたが、拘束された後に、機密情報を流し、鞍替えしました。

そんなやり手の朴正煕は、親米路線・反共産主義で、軍事独裁政権を維持します。

昔はどちらも独裁政権だった

また、アメリカの同盟である日本とも仲良くすべきであると、日韓基本条約を結び、日韓の補償問題は『完全かつ不可逆的に』終わりました。

慰安婦問題の真相

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この際に日本から北朝鮮の分もまとめて多額の賠償金を得た韓国は、インフラ整備などにつぎ込み、一気に最貧国を抜け出します。この後の急成長がいわゆる漢江の奇跡です。

厳しい言論弾圧

独裁者は、暗殺を恐れ、未然に防ぐために監視・弾圧を強化します。

大統領権限をどんどん強くするように法律を変えていき、大統領選挙の方法まで変え、自分に歯向かうものはスパイとして収容する・・・

独裁に反対すれば共産主義?

こうして、国民は独裁に反発し始めます。

独裁者である朴 正煕が反共産・親米・親日なので、それに反発する人たちは自動的に共産主義・反米・反日に傾いちゃうということですね。現在の左派です。

こういった背景から、現在の韓国でも独裁を嫌う人たちは、左派になっちゃうということですね。

共産主義の文大統領が支持率高かったのも納得できます。

金 大中拉致事件

独裁政治に反対する政治家で大統領候補に上りつめてきたのが金 大中(キム・デジュン)です。

金 大中はアメリカ、日本に滞在しながら民主主義を学び、韓国の民主化を呼び掛けていました。つまり、朴 正煕からすれば政敵です。

金 大中は命を狙われる

すると、朴はKCIAに指示し、トラックを突っ込ませ、金 大中は大けがを負いますが奇跡的に命を落とさずに済みました。

その後も、日本滞在中にKCIAに指示し拉致させました。神戸港を出港した工作船は、海上で重しをつけた金 大中を海に投げ込む予定でしたが、日米にバレたため計画は急遽中止され、最終的にソウルで解放されました。

この一件が明るみに出ると、朴 正煕は国内外から孤立しました。

朴 正煕暗殺

1974年、在日韓国人による朴 正煕暗殺未遂事件が起こり、本人は助かりましたが奥さんが死亡しました。これは裏に日韓離反を企む北朝鮮の狙い*1があり、日本にいる工作員への指示 *2があったようです。

朴 正煕暗殺事件

そして1979年、KCIAのトップであり、旧友であった男が、宴会の場で朴 正煕を暗殺しました。アメリカの関与説もありますが不明です。

これにより、韓国内では民主化の動きが一気に活発化しました。それは半年ほど続く『ソウルの春』と呼ばれています。

ソウルの春の終焉

朴正煕の死から半年が過ぎ、次はその弟子たちが動き出しました、全 斗煥(チョン・ドゥファン)です。

1980年に全はクーデターを起こし、軍を掌握しました。やっと独裁が終わったと安堵した民衆の反発は非常に強くデモも活発でした。

光州事件

それに対抗して全は非常戒厳令を全国に敷きました。そして、民主化に影響力のある政治家を逮捕・軟禁しましたが、その中にまたあの男がいました。

そう、金 大中です。全羅道の出身で、光州では人気のある政治家だったため、光州の民衆の怒りが爆発しました。

光州事件

デモを鎮圧するために軍が動員されると、民衆との間で小競り合いが発生しました。軍の鎮圧活動は次第にエスカレートしていき、暴力や一斉射撃なども行われました。

これにより少なくとも54人の死者と500人以上の負傷者が出た*3とされています。

光州事件から民主化へ

10日間に及ぶ光州事件が幕を閉じると、金 大中はこの暴動の首謀者として軍法会議にかけられ死刑判決*4を受けました。

光州事件以降、国民の中で民主化への切望はさらに高まり、7年後についに民主化にたどり着きました。

なぜ起こった?

光州事件は、軍が自国民を虐殺する事件で韓国でも長くタブーとされてきました。

ところでなぜこの悲劇は起こったのでしょうか?

光州の怒り

一つは光州差別で、朴 正煕政権は自分のお膝元の慶尚道の開発に力を入れましたが、光州は放置されました。その怒りの中、光州の英雄である金 大中を殺そうとしたり、逮捕したり。住民の怒りが爆発したという点です。

特殊部隊の鬱憤

鎮圧に派遣された部隊はコンス(空挺)というエリート特殊部隊なのですが、全 斗煥大統領の警護係に事実上格下げされており、うっぷんがたまっていたといわれています。

そんな中でのイザコザが、自国民の虐殺に繋がったというが一般的な見解です。

自作自演説

実は光州事件は金 大中の自作自演ではないかという説*5*6があります。

金大中の自作自演?

暴動を起こすことで、国民の政府への不満をさらに大きくし、政権転覆後に大統領になることを画策したといいます。

また、もう一つの目的は、北朝鮮と距離を縮めることで、この暴動も北朝鮮との合作ではないか?という説です。

たしかに、後に大統領になり、南北首脳会談をしノーベル平和賞を受賞しました。

北朝鮮の工作説

韓国の保守層は、北朝鮮による工作であるという説をいいます。

2018年の韓国の映画『キム君』(日本未公開)*7では、この説を取っています。事件の写真のいたるところで鮮明に映った青年が北朝鮮兵ではないか。。。というやつ。

尚、公式見解では北朝鮮介入説は否定*8*9されています。

さいごに

いかがでしたか。

独裁国で、民主主義を手にするまでは、時間はかかる上、大きな犠牲を伴いました。

韓国では、戦後長らく軍事独裁政権で、言論弾圧や夜間外出禁止令などかなり厳しい統制が図られていました。時間はかかりましたが、韓国民は自分たちの手で独裁をなくし、民主主義を手に入れました。

独裁に反発した勢力は当時は共産主義側(左派)とされていました。現在もその名残があるため、独裁を嫌う人たち、つまり左派(反米・反日)がかなりの割合でいます。

では、また(^.^)ノ

 

【光州事件を扱う映画】

klockworx-asia.com

*1:救う会全国協議会ニュース2012.7.13、第67回東京連続集会「自由統一か独裁か ─ 朝鮮総連・北との闘い」平成24年7月5日、文京区民センター記録。

*2:2005年『拉致 国家犯罪の構図』金賛汀(ちくま新書)p95

*3:2022年1月29日放送、NHK アナザーストーリーズ「その時、市民は軍と闘った〜韓国の夜明け 光州事件〜」

*4:https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/1980/1980_3.html

*5:https://www.lawtimes.co.kr/Legal-News/Legal-News-View?Serial=71253

*6:https://www.sankei.com/article/20150803-LCQSC4VJPRPL5GN72KZ2N67BJM/8/

*7:https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/eiga_log/entertainment/eiga_log-135672

*8:https://japanese.joins.com/JArticle/171768

*9:http://www.naeil.com/news_view/?id_art=85258