前回、スリランカの『有機農業化失敗』について記事を書きました。
すると、イケメン先輩がこの記事を読んで”昔の中国の出来事”を想起したと教えてくれました。
スリランカの有機農業化失敗の理由は、多角的な視野の欠如と急速で極端な変化でした。
今回も”急速で極端すぎる変化”を見ていきましょう。
大躍進政策
戦後の中国では中国共産党が独裁を敷いています。
1957年、反右派闘争で、中国共産党へ歯向かう勢力(知識者ら)は『右派分子』とレッテルを貼られ弾圧・粛清されました。かくして、中国共産党の独裁はさらに強め、毛沢東国家主席の『個人崇拝』が絶対化されました。
絶対的な権力を持った毛沢東は、「今から3年で、農工業生産において米英を追い越すぞ」と決定し、現場指導者らにはノルマを設定します(大躍進政策)。
そんなノルマ当然届くわけもなく、失脚を恐れ水増し報告をしました。
水増し報告を受け、実態把握できないまま毛沢東はさらなる増産を指示したのです。(笑)
結果は伴わない
さて、大躍進政策でどのようなことが行われたのでしょうか?
まずは電化が遅れている中国では木炭燃料が広く使われており、その木炭の増産へ。
また鉄鉱石が不足しているので、各家庭から鉄製器具を回収しそこから屑鉄を作るという、ようわからんことをしてたわけです。
こうして作られた鉄の6割が使い物にならない粗悪なものでした。それでも、毛沢東のさらなる増産の指示がどんどん来るので、この意味のない行為を繰り返していったのでした。
四害駆除運動
先進国になるには衛生状態を向上させ、感染症を減らさなければいけません。
1958年、毛沢東はあることを決めました。
伝染病の原因となる、ハエ、ネズミ、スズメ、蚊の四害駆除運動を始めました。
その中でも特にスズメは果物を食べることもあり一番忌み嫌われる対象となりました*1。
そこで、国民にスズメを『悪』とするために、「鳥は資本主義の象徴」だと宣言したのです。
市民はフライパンや鍋をカンカンと鳴らし、飛んでいるスズメが枝に止まり休息しないようにました。疲れて死ぬのを待つ作戦を決行しました*2。
スズメは15分間以上飛び続けられないそうです。
またスズメの巣を見つければ破壊、卵も割り、雛は殺しました。そして空中のスズメを射殺する人もいました*3。
こういった市民の攻撃によりスズメは絶滅寸前にまで個体数が減りました。
これで、市民の食べ物がスズメに奪われることがなくなり、市民の腹も満たされるはず・・・でした。
コメの収穫量低下
しかし、スズメがいなくなった中国ではコメの収穫量が低下したのです。
スズメをほぼ消滅させるという狂気の行為により、生態系が崩れたわけです。今までスズメが食べていた虫が急増したのです。
特にバッタが急増し、国中を襲い、農作物を食い荒らしたのでした。これは専門用語で蝗害(こうがい)と言います。
さらにこのとき、殺虫剤が品薄状態で、害虫は増えたい放題となってしまいました。
そこで毛沢東は、スズメは”益鳥”であると、前言を撤回し、スズメ狩りの中止を求めました。
打つ手なくなった中国は、ソ連から25万羽のスズメを輸入して対策をとることになったのです。
大量の死者
この大躍進政策という誤った施策により、多くの命が失われました。
数については諸説ありますが、1600万*4~7000万人*5ほどが亡くなったとされています。
なぜこんなにも死者が出たのでしょうか?スズメのせいだけではありません。人災です。
大躍進政策下では、『生産量増大』した地域のリーダーは有能とされ昇進します。すると、こぞって水増し報告がなされました。
その水増し報告をもとに、輸出に回す農作物量が指示されたのです。
今さら『水増し報告』だなんて言えませんので、仕方なく決められた量を輸出に回すと、地域の住民の食料は激減。こうして、多数の死者を出しました。
文化大革命
1959年、大躍進政策で農作物の収穫量が激減し、各地で飢饉が起きていることがわかり、党の求心力は下がりました。
毛沢東は自己の失政を認め、国家主席を辞任し、ライバルの劉少奇に席を譲ったのです。
劉は一部市場経済を導入し、資本主義側に歩み寄りました。
一方、失脚した毛沢東は虎視眈々と復権を狙っていました。そんなとき目を付けたのが毛沢東個人崇拝の洗脳時代に育った若者です。彼らにとっては毛沢東は『神』です。
その神が、中国が資本主義という悪に脅かされそうとしている、悪党どもを排除しようと呼びかけてできたのが紅衛兵という学生運動です。
毛沢東に扇動された紅衛兵は『反革命分子』とされた人たちをリンチしていきます。こうして10年続いた国内の粛清の嵐を文化大革命といいます。死者数は40万人~1億人と言われています。*6*7
さいごに
いかがでしたか?
リーダーの急速で極端な判断から始まる失政でたくさんの人が飢え死にました。
さらに、失策により失脚したものの、次の指導者を陥れるために洗脳された若者を扇動し、国内で10年にも及ぶ『粛清』の嵐が続きました。
江戸時代の話ではありません、たかだか50年ほど前のお話です。
では、また(^^♪
*1:http://www.peopleschina.com/maindoc/html/200605/10li.htm
*2:https://chineseposters.net/themes/four-pests
*3:http://io9.com/5927112/chinas-worst-self%2Binflicted-disaster-the-campaign-to-wipe-out-the-common-sparrow
*4:https://web.archive.org/web/20190125091817/http://honkawa2.sakura.ne.jp/8210.html
*5:フランク・ ディケーター『毛沢東の大飢饉 史上最も悲惨で破壊的な人災 1958-1962』p123,草思社,2011年7月23日
*6:『入門中国の歴史-中国中学校歴史教科書』1157頁(明石書店 2001年11月発行)
*7:『解放軍報』(1980年12月9日)の記事「迫害狂・江青」