遠い昔の記憶なんて大部分忘れていますが、小学生の頃のことで深く印象に残っているできごとってありませんか?
そんな古い思い出の中で今回は27年前に起こった出来事について振り返ってみたいと思います。僕が覚えているのは、米が売られていなくて、タイ米を家で食べていました。いつも食べる米と違って少し臭いもあるしあまり好きになれなかったことも覚えています。
ところで、最近米不足がニュースにならないのはなんででしょうか?この点も今回見ていきましょう~~
平成5年の梅雨は長かった
1991年(平成3年)フィリピンにあるピナトゥボ山が噴火しました。大量の溶岩と火山灰が吹き出され、大気中にエアロゾルが広がりました。これにより地表へ届く太陽光が平均5%ほど低下したと言われています。その結果、世界的に少し気温が下がりました。噴火によりできた雲が3年間も覆っていました。
1993年(平成5年)この年の梅雨前線は非常に長期間日本列島にありました。8月になっても梅雨は明けませんでした。連日の雨で、日照時間は極端に短く、冷夏で米の不作が危惧されました。これもピナトゥボ山の噴火の影響と考えられています。
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米の緊急輸入
それまでの日本のスタンスは農家を守るために米の輸入はしない方針でした。ところが、私たちが普段慣れ親しんでいるジャポニカ米は、品薄となってしまいました。一部では米の買い占めなども起こったこの事象は平成の米騒動と呼ばれたりもします。日本では大正時代以来の米騒動となりました。
日本政府は各国に米の輸出を要請しました。すると、タイが応じてくれ、国に置かれてある備蓄米をすべて輸出してくれることになりました。タイ米はインディカ米で細長く、ジャポニカ米のようなモチモチ食感はありません。
当初日本政府は、同じジャポニカ米を作るアメリカや中国からの輸入を検討しましたが、それだけではとても量が足りず、タイ米を流通させることにしました。
タイ米の輸入とその影響
ジャポニカ米に慣れた日本人にはタイ米はかなり不評でした。そこで日本政府はジャポニカ米とタイ米をミックスして流通させました。ところが、さらに食感に違和感が出たためさらに不人気になりました。
一方で、日本に備蓄米をすべて売ったタイは国内で米の余裕がなくなり、米の値段が高騰しました。(他の国でも米の価格が上がりました)
ここまでしてタイ米を日本に輸入しましたが、不評が続き売れ残ったタイ米は家畜の餌などにされました。
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事態の沈静化とその後の変化
翌年1994年、暖かい沖縄では本土に先立ち米が獲れました。昨年とは打って変わって猛暑となり、本州でも米は豊作となり米不足は収束しました。
日本国内では冷害に弱い品種(ササニシキなど)から冷害に強い品種(コシヒカリ、ひとめぼれなど)に変更して米を作るようになりました。また、国としても備蓄米を増やしておくことにしました。
日本1国の米の不作に伴う緊急輸入により世界市場での米の価格が乱れました。これは世界各国からの非難を浴びることとなりました。そういった圧力もあり、日本はこれまでのスタンスの米の禁輸をやめざるを得なくなりました。米の輸入解禁です。
2019年の日照時間不足
実は昨年も同じように関東などで記録的な日照時間不足があり米不足の不安がささやかれていました。野菜のできが悪いというのはSNSなどでつぶやかれていましたね。
しかし、上でも書いたとおり、冷害に強い品種を作るようになったことでそのリスクは回避できています。さらには日本人の米の消費量が減ったことも重要なファクターです。この20年で15%ほど消費量が減っているそうです。
そういったことで、2019年は日照時間は少なかったですが、1993年のような米不足にならずに済みました。
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