マルチリンガル医師のよもやま話

マルチリンガル医師の世界観で世の中の出来事を綴ります

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【サク読み】イスラエルとパレスチナ

ロシアによるウクライナ侵攻が続く中、最近報じられるようなったのが、イスラエルとパレスチナの問題。よく出てくるキーワードがハマスとガザ地区。

この辺、私も整理したいと思いながら・・・

思いたったが吉日

ユダヤ人の迫害

昔、地中海の東沿岸の地域をパレスチナと呼んでいました。

周囲にはエジプト、シリア、ヨルダン、レバノンとよくサッカーで聞く名前の国々があります。

昔の”パレスチナ”

2000年前くらい、ここにはユダヤ人が住んでいましたが、ローマ帝国に滅ぼされました。そしてユダヤ人は追い出されたのです。(ディアスポラ

ユダヤ人はアフリカや中東で暮らし、欧州ではユダヤ人はキリストを処刑した人と考えられ、差別・迫害に苦しむようになっていました。

そんな中、散り散りになったユダヤ人は人があまりしない仕事をしました。

力を持つユダヤ人

キリスト教ではお金を扱う仕事は”はしたない”と考えられ避けられていたため、ユダヤ人たちは金融業を行いました。そして、徐々に豊かになり影響力を持っていきました。

しかし、災害などのことあるごとに『ユダヤ人のせいだ』と迫害が繰り返される顛末。

シオニズム運動

すると、ユダヤ人らは、『自分たちの国を作ろう』となり、もともとのパレスチナに自分たちの国を作ることを夢見ました。(シオニズム運動

三枚舌外交

そのころ、パレスチナにはアラブ人が住みついていました。

この頃、アラブ地域を支配していたのがオスマン帝国(トルコ)です。

大英帝国様は、このオスマン帝国を狙っていました。

そこで、それぞれを焚きつけて、内部崩壊させることを思いつきました。

三枚舌外交 (forked tongue)

アラブ人にはオスマン帝国と戦えば独立国家を作ってやるといい、後に、金融業でお金のあるユダヤ人たちに歩み寄り、資金援助の代わりにパレスチナにユダヤ人の国を作ると約束します。

同盟のフランスとは、オスマン帝国の土地を分割統治しようと持ち掛けます。

これが悪名高き三枚舌外交です。

ユダヤ人激オコ

大英帝国の”裏切り”を知ったユダヤ人は、独立国家樹立を急ぎました。

また、外の世界でも動きがありました。

第一次世界大戦を優勢に進めていたドイツは、アメリカの参戦で結局敗戦となりました。

ドイツでナチス台頭

戦争賠償金の支払いでドイツ経済は深刻な状況になると、ナチ党が力を持ちました。

苦しい経済状況で、国民を一つにまとめる簡単な方法、それは『共通の敵』です。

ナチ党は、ドイツが敗戦したのはユダヤ人が直前に裏切ったからだと主張して、反ユダヤを盛り立てました。

それが、最終的にユダヤ人のホロコーストにつながったのです。アウシュビッツ収容所という言葉は有名ですね。

アウシュビッツ収容所

『もう二度とユダヤ人が迫害されないように』

ユダヤ人の独立国建国への思いはさらに強くなりました。

パレスチナ分割決議

ユダヤ人はパレスチナにどんどんと入っていくとそこに住んでいるアラブ人との間で激しい衝突を起こしました。

何もかもめんどくさくなった大英帝国様は、自らはその地から撤退しすべてを国連に丸投げすることにしたのです。

イギリスの丸投げ

そこで国連はみんなで話し合って、パレスチナ分割統治を提案します。

しかし、パレスチナにはエルサレムという宗教上非常に重要な場所があります。そこだけは国際管理下に置くことにしました。

世界からの同情

当時はナチスのホロコーストという悲惨な出来事があり、多くの国がユダヤ人に同情し、1947年、パレスチナを分割しユダヤ人の国とアラブ人の国に分けましょうという国連決議が採択されました。

しかし、そこにも問題があったのです。

ユダヤびいき?

実は、そのときにパレスチナに住んでいたユダヤ人は全人口の1/3にも満たないのに、半分以上の土地がユダヤ人の国として割り当てられたのです。

さっきも言いましたが、ユダヤ人は金融業で成功した人たちが多く、ロビー活動も行っていたことがわかっています。

ロビー活動も入念に

そして、国連決議の翌年(1948年)、ユダヤ人の国・イスラエルの建国を宣言しました。

これに納得がいかないのが、住んでいたアラブ人です。

すると、アラブ人はイスラエルに攻め込みました。これが第一次中東戦争です。この戦争は、止まったかと思えば再発し、第三次中東戦争でイスラエルはパレスチナの土地のほぼすべてを占領しました。

しかし、この占領は、国連の分割統治決議で認められた以上の土地も当然含まれています。そして、そこに入植地としてどんどんとユダヤ人を入植させていきました。

しかし、この行動は多くの国で『違法』とみなされています。

オスロ合意

イスラエルに対してアラブ人は複数の国が共同して戦っていましたが、段々とアメリカとの関係を優先する国も出てきて、そちらの連携は崩れていきます

そして、最終的にはアラブ人側は国ではなく、武装組織らがイスラエルに抵抗するようになりました。ハマスもその一つです。

『中東問題を何とかしないと』

産油国を擁する中東の情勢が不安定であると、石油価格の上昇でついにはオイルショックになることを経験し、『中東の平和』を推進することが重要視されました。

1990年代、アメリカも仲介し、イスラエルとパレスチナの間で『共存』を目指すオスロ合意が結ばれました。

しばらくの平和がつづきましたが、ちょっとしたことがあれば、またいがみ合うという状況は今にも続いています。

ガザ地区

パレスチナの自治区は飛び地のようになっており、エジプトと接するところにガザ地区があります。

ガザ地区

ここを中心にパレスチナ解放を訴える過激組織がハマスです。選挙に勝ち、2007年からはガザ地区を支配しています。

一方で、ヨルダン川西岸の方のパレスチナは穏健派が支配しており、イスラエルと和平を進めたいと考えています。

つまり、パレスチナも二分化しているのです。

ここ最近の流れは、ガザ地区からハマスがロケット弾を撃ち込んで、イスラエルが報復。これの繰り返しです。

 

 

複雑ですな~

では、また(^^♪