昨年はメディアがこぞって統一教会を叩いていましたが、その波は最近はエホバの証人にも流れています。
▼統一教会をイチから▼
我々医療従事者の間では以前から誰もが知る存在で、有名なのは『輸血拒否』ですね。特に外科で手術に関連すると、「大量出血時の輸血」について術前に同意書を取るのですがその時に問題となります。
今回はこのエホバの証人についてさらっと学んでみましょう。
熱心な少年の疑問
19世紀のアメリカ、ペンシルベニア州にチャールズ・ラッセルという人がいました。
両親とも敬虔なプロテスタント系の一派の信者で、幼少期から聖書を研究していたラッセルは徐々に聖書に疑問を持ち始めました。
運命予定説というのは、簡単に言えば、天国に行くか地獄に行くかは生まれる前から決まっていて、生きているうちに徳を積んだとか、いっぱい献金したから天国に行けるなどといったものではないというものです。
地獄なんてないさ
1869年、ラッセル氏は当時流行していた再臨派(アドベンチスト)の集会に参加し、牧師の説教を聞き、感銘を受けました。
この後、ラッセル氏は仲間たちと『聖書研究会』を作り、聖書の研究に明け暮れました。そして、地獄というものは存在せず、永遠の責め苦なんてあり得ないという主張に落ち着きました。
自らが事業で得たお金をつぎ込んで雑誌や書籍を出し、伝道活動を活発に行いました。
その後、『シオンのものみの塔冊子協会』を設立し寄付金を集めやすくしました。
エホバの証人という宗教団体となった現在でも『ものみの塔』という機関紙が月に1回発行されています。
エホバとは
ところで名前のエホバとは何なのでしょうか?
ヒントとしては、英語ではJehovaと書かれています。はい、これは別名『ヤハウェ』のことです。
もともとのヘブライ語は、母音を表記しなかった(YHWH / JHVH ※ヘブライ語は右から左に読む。)ので、読む人が想像で母音を付け加えて読みました。なので、ヤハウェともエホヴァともなるわけですね。
さて、ヤハウェといえばユダヤ教の神なのですが、実はキリスト教の神もヤハウェで、さらにはイスラム教の神もヤハウェなのです。
ユダヤ教が最初にありましたが、それは『ユダヤ人だけが救われる』という宗教観があり、当然他の民族に広がりません。旧約聖書がこれです。
その後、ユダヤ人であるイエス・キリストは、誰もが平等で神を信じればみんな救われるといい、それがキリスト教です。これが新約聖書ってやつですね。
キリスト教ではヤハウェとイエスと精霊を合わせて神(三位一体)としています。
しかし、ユダヤ教徒もキリスト教徒も神の言うことを全然聞いていない!としてムハンマドが、神からの言葉を預かり(預言者)、編集したものがコーランで、この教えがイスラム教です。
当然、この3つの聖地も、元のユダヤ教の聖地であるエルサレムです。この聖地をめぐって争いがあるのが、イスラエル(ユダヤ教)とパレスチナ(イスラム教)ということですね。
エホバの証人の教義
さて、話は戻って、エホバの証人の教義を簡単に言うと・・・
すべてのものには神がおり、その神はエホバ(ヤハウェ)です。一方、キリストは神の子であり、神ではないと。
神がアダムとイヴに永遠の命を授けたのに、二人が神に逆らいサタンに従ったから、二人とその子孫である人類は永遠の命を失ったのです。
世界が終わりを迎えようとしており、キリスト率いる神の軍団がハルマゲドンでサタンの支配を終わらせ、地球にパラダイスをもたらします。
そのときに神に従う者たちは、アダムから受け継がれた罪は消えて、永遠の命を手にできるというものです。
行動様式
日常の行動様式ではどういった特殊性があるのでしょうか?
まず、政治的中立であるべきとし、選挙には行きませんし、立候補もしません。
人を傷つけることはよくないという考えから、戦争や兵役に反対、格闘技もNGです。
国旗や国歌への敬礼は偶像崇拝にあたり、唯一神の考えに合致しないので禁止です。ただし、国旗掲揚や国歌斉唱を妨害は行いません。
このこととの関連としては、1920~1945年、ドイツではナチス独裁でした。その中で、国旗敬礼拒否やナチスへの投票拒否とさらに入隊拒否で、およそ1万2000人の信者が強制収容所に送られたという悲しい過去もあります。
他にも、誕生日のお祝いやハロウィーン、クリスマス、七夕、節分、ひな祭りなどはお祝いしてはいけません。
喫煙の禁止、離婚・再婚の禁止、薬物はなるべく使わない、他宗教の者との婚姻の禁止など様々です。こういったことから、ベルギーやフランスではカルトorセクトに指定されています。
輸血拒否
エホバの証人で一番有名なのはこれでしょう。
聖書の中には『血を避けるように』とする記述がいくつかあり、それをエホバの証人的な解釈では『(他人の)血を体内に入れてはいけない』となります。
輸血をすると、”霊的生命”が損なわれ、それは死よりも悪いものであると解釈されています。
1985年に神奈川県で10歳の男児が交通事故に遭い、両親が信仰上の理由から輸血を拒否し、死亡しました。最終的に裁判では輸血をしても助かる見込みは少なかったということで両親は無罪、事故を起こした運転手が有罪となりました。
しかし、同時に親の一存で子供の命を危険にさらすことについて議論がされ、2008年に日本輸血・細胞治療学会らが合名でガイドライン*1を作成し、対応を決めました。
一方で、成人に関しては、個人の意志を尊重しなければいけないというのが現状です。
1992年に東京の病院で肝腫瘍の手術を受けた患者は、術前から輸血拒否を主張していましたが、術中の大量出血で輸血をしなければ死亡する可能性が高いと判断し、医師らはその場の判断で輸血を行いました。
術後にその事実を知った患者は訴訟を起こし、最高裁までいき、医師・病院らに損害賠償の支払いが命じられました。
さいごに
いかがでしたか?
エホバの証人について学んでみましたが、一部、極端な解釈もあるものの意外と普通の宗教と思った方も多いのではないでしょうか?
政治への関与をしないというのは、政教分離を守っていて素晴らしいですね。
しかし、輸血の拒否や他宗教との婚姻の禁止など、誰か中の偉い人が時代に合わせた解釈をしてあげたらいいのにとも思います。
では、また(^^♪