マルチリンガル医師のよもやま話

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平成の遺残?フィリピンパブ

先日、友人と話していた時に、こんな話がありました。

友人との会話

フィリピンパブ、この単語自体かなり久しぶりに耳にしました。思い返すと小学校とかのころよく耳にした記憶があります。

ってなわけで、今回はフィリピンパブについて詳しく学びましょう♪笑

"比"流ブーム

まず、知っておかなければいけないのは、日本で過去にフィリピンは人気だったことです。

50年ほど前、日本で海外旅行ブームが起こり、ある程度近い距離の外国観光地が人気の渡航先でした。例えば、ハワイ、グアムなどです。そして、もう一つがフィリピンでした。

フィリピンは人気の渡航先

常夏の南国、フィリピンの首都マニラ歓楽街が充実していたこともあり特に”男性陣”には人気の渡航先でした。

おじさまたちの間で起きた”比流ブーム”、そして30年後におばさまたちの間で起きた韓流ブーム。中身は全く違えど、そういう時代の流れがあったのです。

日本人観光客激減

そんな、日本の男性陣を魅了したマニラでしたが、比流ブームは10年少しで幕を閉じます。

1986年、エドゥサ革命です。

ま、簡単に言うと、フィリピンではマルコス大統領が、長く率いていました。そして彼は反共産主義ということで、日米韓とも仲良くやってました。

エドゥサ革命とは

ところが、マルコスの独裁政治へ国民の不満は募っていました。そんな中、反マルコス運動の中心人物であるアキノ氏は、フィリピンの大統領選に出馬するために亡命先のアメリカからフィリピンに帰国したところ、空港で拘束され射殺されました。

これを機に、世界中から大非難を浴びた上、国内でも民衆の怒りが爆発しました。こうして、フィリピンの政情は不安定化し、日米韓からの観光客も減少しました。

フィリピンへの渡航は激減

海外からの観光客の激減で、フィリピンの経済は大打撃を受け、マイナス成長、大量の失業者を出すことになりました。

ジャパゆきさん

この頃、日本はバブル期が始まったころです。すると、政情不安定で失業率の高いフィリピンから日本へ出稼ぎに来ようと考えました。

ちなみにバブル期の日本にアジアから出稼ぎに行く女性のことを『ジャパゆきさん』と呼んだようです。

言葉の壁は大きい

さて、フィリピンから日本に来ても日本語話せないし、仕事を得るのは難しいです。今みたいにコンビニとかが大量にあれば何とかなったかもしれません。

そうだ、演奏ならば言葉は要らない!楽譜が読めれば仕事になる!

こう考えた人たちは多かったです。

バブル崩壊とは?

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興行ビザ

実は、1960年代から、フィリピンから日本にバンドが来て演奏をする出稼ぎが多くいたのです。彼らは日本で短期間エンターテイナーとして働く『興行ビザ』(3~6か月)を取って出稼ぎをしました。

興行ビザを取って日本で働く

これに目を着けて、マニラの繁華街で職を失った人たちは日本でエンターテイナーとして働こうとしました。エンターテイメントは音楽だけではありません、ショーでもいいわけですね。

それで、キャバレーでショーするホステスが興行ビザで大量に流れ込みました。2004年には8万人のフィリピン人女性が興行ビザで来日*1しています。

フィリピンパブ

さて、夜のお店のエンターテイナーとして働く中でも、やはり『独自性』が重要です。

日本人に交じって働いても、言葉の壁もありますし、色々難しい。

そこで、いっそフィリピン人だけ集めてパブをやればいいんじゃね?となったわけです。そして、ターゲットは今まで比流ブームでフィリピンに行ってたようなオジさま。

フィリピンパブの戦略

日本のお店より安くおもてなししてくれるフィリピンパブが誕生しました。

さらに、繁華街に作っても競争が激しいので、若い女性の少ない、田舎に作れば需要は高まるということで全国津々浦々に作られていきました。

人身売買容認国

日本でお金を稼げて、日本のおじさんたちも安い値段でもてなされて win-winなフィリピンパブでしたが、思わぬところから攻撃を受けました。

アメリカが、『日本は人身売買容認国』として名指しで批判*2したのです。

若い外国人女性を『性的搾取』による『人身売買』を行っていると。

興行ビザの要件を厳格化

小泉内閣では、「これはやべーぞ」ということで、興行ビザを厳しくすることにしました。つまり、ホステスになろうと出稼ぎに来る外国女性には興行ビザを与えなくなったのです。

ちなみに、アメリカはいまも日本にこの指摘を続けています。技能実習制度についても『人身売買』*3と。

偽装結婚

いくら日本での給料が安くても、そのお金をフィリピンに送金できれば家族は十分暮らしていけます。なんとかして、ホステスを続けたい!そう考える人たちは多いでしょう。

しかし、もう興行ビザは簡単には取れません。

究極の2択!

彼女たちに残された方法は2つ、違法滞在日本人の妻になることでした。

だいたい、こういった外国からの出稼ぎには、現地と日本にそれぞれブローカーがいて、お金をもらって仕事をあっせんしています。”大陸系中華”の件もそうです(過去記事参照)。

大陸系中華とは?

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ブローカーたちは、彼女らに仕事をあっせんしてお金を稼ぐので、出稼ぎに行く人が減れば困るわけです。すると、何とか彼女らが日本で働けるように手を回します。

それが、偽装結婚ブローカーを作り上げました*4

こうして、日本人の男性と偽装結婚し、永住権を得れば継続して働けますね。

まだ健在

さて、ここまでの話を見ると、フィリピンからホステス目的でのビザもおりず、フィリピンパブはもう完全になくなったのでは?と思いますが・・・

【都市名+フィリピンパブ】でググって見てください。

そう、まだ健在なのです。しかし、どうやって?偽装結婚で永住権を持っていても、その人たちは既に・・・40代後半。。。『若い女性』とは言えませんね(笑)

タレント養成所

実は、フィリピンでタレント養成所ができており、歌やダンスを習います。そして、ちゃんと実績を持って、『歌手』『ダンサー』として興行ビザで日本に来ているからです。

但し、興行ビザ発給はかなり厳しくなっているので、過去ほどの勢いで入国はできていません。

さいごに

いかがでしたか?

みなさんも聞き覚えのある、フィリピンパブは現在も健在でした。

政情不安定による経済困窮が理由で爆誕したフィリピンパブでしたが、アメリカに人身売買容認国と名指しされた日本が興行ビザを厳しくし、現在はかなり勢いは減っています。

当時は偽装結婚などでなんとかやっていましたが、『時の流れ』には勝てず、当時20代の人も今は40代となっており、戦力ダウンは否めません。

そこで、タレント養成所で音楽・ダンスを教え、正真正銘のエンターテイナーとして日本の『興行ビザ』を取得している人たちが今のフィリピンパブを支えているのでした。

では、また(^^♪