マルチリンガル医師のよもやま話

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タイタニック号沈没 塵積って山となる

今から110年前の1912年4月15日未明、豪華客船タイタニック号は沈没しました。

小学生の時にレオナルド・ディカプリオ主演の映画を見ました。3時間を超える映画は子供にはキツかったですが。。。笑

さて、今回はタイタニック号について学んでいきましょう。

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タイタニック号の姉妹

タイタニック号は、英国と米国を結ぶ北大西洋航路用に作られた豪華客船です。飛行機のない時代、この航路はドル箱路線でした。

タイタニック号は当時として高度な安全対策がなされており、”不沈船”と呼ばれました。

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タイタニック号とその姉妹

実はタイタニック号には姉妹がいて、姉がオリンピック号、妹がブリタニック号です。

オリンピック号とタイタニック号は設計も外観もほぼ同じでした。

この3姉妹のうち、まともに”豪華客船”として機能したのは姉のオリンピック号だけで、タイタニック号は処女航海で氷山と衝突し沈没、ブリタニック号は第一次世界大戦期に病院船として活躍していましたが魚雷を食らって沈没したのです。

”想定外”な処女航海

1912年4月10日、タイタニック号は2224人の乗客を乗せ英国・サウサンプトン港から米国・ニューヨークに向けて、処女航海に出ました。

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タイタニックの航路

実はこの時点で、色々と想定外なことが起こっていました。

出航直前の人事異動により、申し送りが不完全で、航海士用の双眼鏡が行方不明だったのです。つまり、出航後、肉眼で遠くを確認するしかなかったわけです。

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前途多難の船出

さらに出航直後、巨大なタイタニック号のスクリューが作った海流により、近くにいた客船が引き寄せられ”あわや衝突”する寸前となったのです。

不具合はまだ続きます。4月13日、無線機の故障が起こりました。

流氷の存在

翌4月14日、無線機の故障は復旧していました。

他の船などから航路上に流氷があることを情報として受け取っていましたが、その海域でその時期に流氷があることは珍しいことでもなく、船内での情報共有は不十分に終わりました。

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流氷の存在は情報が入っていた

そして衝突の40分ほど前、近隣を航行する船より『警告』が入りますが、なんと混線により、うまく傍受できず、その警告はスルーされてしまったのです。

4月14日 23時40分 見張りが450m前方(200mという説もある)に流氷を確認しました。双眼鏡がないので肉眼でです。

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流氷の確認が難しかった

この流氷がある海域は普段から霧が起こりやすい場所であり、その時も深い霧が立っていました。

衝突から沈没へ

そのときタイタニック号は時速22.5ノット(≒時速40km)で巡行中でした。超巨大なタイタニック号がその速度から停止するまでには1200mの距離が必要だそうです。

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タイタニック号がぶつかった流氷

船首の衝突は避けられましたが右舷が氷山に衝突し、タイタニック号は停止しました。

衝突により破損した部位から海水が流入し、ポンプで何とか捨てて助けが来るまでの時間稼ぎをするのみでした。

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衝突により船体は破損

タイタニック号には乗客数に見合うだけの救難ボートが積まれていませんでした。その結果、1500人もの乗員・乗客が取り残されることとなりました。

4月の大西洋の海水温は非常に冷たく、沈没時はマイナス2℃だったそうです。当然、低体温症で多くの人が亡くなりました。

事故原因仮説①

当時の船は軽油ではなく、石炭を燃料にしていました。

実はサウサンプトン港出航前に、タイタニック号内で石炭火災が起きていました。

その火災による熱で、船の構造が弱くなっていたことが、沈没の主たる原因であるという仮説*1があります。

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石炭火災が原因?説

沈没後の事故調査委員会では、大した火災ではなく、沈没とは関係ないとされていましたが、21世紀に入って注目されるようになった説です。

ちなみに石炭の自然発火というものは汽船の歴史ではよくあることであり、また自然鎮火することが多かったという事実も据えておきます。

事故原因仮説②

人為ミスだったという説*2もあります。

流氷を見つけた航海士は減速無しで、旋回のみで衝突を回避できると考え、旋回の指示を出しました。

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直接法と間接法

実は、船の旋回の指示は直接法間接法というもの*3があります。これは、船のお尻についている舵の向きを指示するものです。舵柄と舵板の向きは常に逆方向なので、間接法と直接法では真逆の方向の指示になります。

タイタニック号では間接法が適用されていましたが、そのときの操舵手は直接法で長く訓練されてきたこともあり、パニック下でのとっさの判断で直接法の指示と受けてしまったのです。

つまり、左へ舵を切らなければいけないところを右に舵を切ったのです。

事故後の調査では、この人為ミスを隠したという証言も出ています。

陰謀論も

タイタニック号の所有者は国際海運商事の社長であるJPモルガンでした。

投資信託をやっている人はこの名前聞いたことありますよね。アメリカの5大財閥の1つモルガン財閥です。

JPモルガンもこのタイタニック号に乗船予定でしたが、病気を理由にキャンセルしました。しかし、JPモルガンはそのタイミングで北アフリカ~フランスの旅行に出ていたのです。

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JPモルガン陰謀論

他にもキャンセルした客がいるのですが、その中にJPモルガンの知人が複数いたのです。

そういったことから、タイタニック号の保険金目当ての沈没説というものができました。

ま、氷山にぶつけて予定通り沈没させるまで計画するのは当然至難の業で、あくまで陰謀論の1つに過ぎません。

さいごに

いかがでしたか?

タイタニック号が沈没して多数の死者を出したことにはいくつもの問題点が見つかっています。

出航前に双眼鏡が行方不明になったこと、石炭火災があったこと。出航直後もタイタニック号が作る海流により衝突事故が起きそうになったこと。

出航後に無線機の故障があり氷山の警告が傍受できなかったこと、さらには乗客数に対して救命ボートの定員が圧倒的に少なかったことなどがわかっています。

また、4月の大西洋の海水温が低いことで、大多数が短時間で死亡したのでした。

 

では、また(^.^)ノ