盛り上がっているオリンピックですが今回は開会式で使われて少し話題になったを表現を通して、世論というもの、そしてマスコミの在り方などを少し覗いていきましょう。
Ladies and Gentlemen
国際的な大会ですので、当然会場アナウンスは日本語だけでなく英語も行われます。
その中で頻繁に出てきた、 ladies and gentlemen がネットでは少し話題になっていました。
2020年9月にJALは ladies and gentlemen を使用中止*1することを発表しました。また、2021年に入ってからは東京ディズニーランドなどでも同様の措置*2が取られることが発表されました。
世界では、例えば2017年にニューヨークメトロやバスでこの対応が導入され、その後、いくつかの航空会社でもこの動きがありました。代わりに、性によらない everyone を使う*3ようになっています。
LGBT
”性の革命”が大きく進んだのは1960年代後半です。以降、様々な言葉ができてきました。同性愛を意味する homosexualityから始まり、そこから gay, lesbianなどが生まれました。
時代とともに bisexual, transgender など言葉は新たに作られ、現在では、性的マイノリティーはLGBTなどと呼ばれます。(どんどん新しい言葉が出てくる・・・)
日本で本格的にこの件について社会が動き出したのはここ数年です。学校の制服で女子がスカート以外のスラックスを選べるようにした*4ところもあります。
世界的にこういった流れがあり、伝統的な ladies and gentlemen という表現もふさわしくないと判断されつつあります。
民主主義国家
日本はアメリカや欧州の国々のように民主主義を取っています。民主主義の下では、国民の意志は”多数決の原理”で決められます。しかしながら、それは同時に『少数意見の尊重』も求められています。
難しいのが、この少数意見をどこまで聞き入れるかというものです。
ときに、民主主義の大原則である多数決の原理を無視する結果になることが見られます。現代ではTwitterデモなどもそうです。
これはノイジーマイノリティーと呼ばれます。その反対はサイレントマジョリティーといいます。つまり、何かを決定するときに、少数派の方が圧倒的に声を上げて運動を展開し、政策に影響を与えます。
こうなるともはや民主主義ではないですね。この状況をさらに悪化させるのがマスコミです。
聴診器と拡声器
マスコミで重要とされるキーワードの中に”聴診器と拡声器”というものがあります。
多数決である以上、多数派の意見が優先されますが、少数派の意見も尊重しなければいけません。
マスコミは多数派が言っていることをさらに『拡声器』で広げるのではなく、少数派の小さな声を『聴診器』として拾い上げるのがあるべき姿だという考えです。
しかし、実際は、自分たちのイデオロギーに合うように、都合よく時には聴診器に、時には拡声器になっています。政権批判の目的のために、ノイジーマイノリティーの拡声器になっていることがよくあります。
ロバ売りの親子
トヨタの社長が2020年の株主総会でメディアの傲慢さを批判した*5ときに、ある寓話を引き合いに出しました。
ロバを引いて歩く親子を見て、ある人は「せっかくロバがいるのに乗らないなんてもったいない」と言いました。
そこで父親は息子をロバに乗せて、自分は歩きました。すると、また別の人が来て、「元気な若者が楽をして親を歩かせるなんてけしからん」と言いました。
そこで、父親がロバに乗り、息子が歩きました。また別の人が来て、「自分は楽をして我が子を歩かせるなんてひどい親だ」と言いました。
そこで、二人一緒にロバに乗りました。すると、また別の人が言いました。「二人も乗るだなんてロバがかわいそうだろ」
つまり、メディアは批判すると決めたら、何をしても批判をする。実に的確な例えですね。
メディアが都合よく聴診器と拡声器を利用しているというたとえですね。
言葉は変わるもの
話は戻って、言葉というものは時代の流れにより変わるものです。言語マニアとして、この事実は認めざるを得ません。
しかし、人は長く慣れ親しんだものが大きく変わると、違和感を覚えます。ま、そのうち慣れるのですが。(笑)
そう、看護婦が看護師と呼ばれるようになったり、ドラえもんの声が大きく変わったこと、阪急電車の「〇〇でございます」が変わったこと・・・など
慣れたらそれが普通になります。
今回の ladies and gentlemen の件などもその一部になります。もちろん、少数派の意見を尊重することが、民主主義に求められています。
しかし、あまりにも少数派の意見が通りすぎるのはどうなんでしょうか。と少し不思議な気持ちになります。
不公平感
「少数意見に耳を傾けている」
知事や市長らがこう言うと、聞こえはいいですが、一部の少数派の意見は通るけど、他の少数派の意見は通らない不公平を生み出していることもあります。
例えば、静岡市は、豚を食べられないイスラム教の生徒のために別の給食を提供する検討*6をしています。外国人に配慮があって『素敵なこと』に聞こえます。
実に0.07%の生徒のために特別給食を作るのがいかに手間、コストがかかるかは容易に想像できます。そして、上の赤い字の部分ですが、現在その生徒たちは豚をよけたり、お弁当持参で対応しているそうです。
これに対して静岡市は別の給食の提供を検討しています。
しかし、一方で、文部科学省のガイドライン*7では、食物アレルギーのある子供たちは献立を見て食べられないものはよけて食べ、弁当を持参するように勧めています。
食物アレルギーの割合は学童では1.3~4.5%*8と、先ほどの0.07%と比して圧倒的に多いです。
その多い子供たちは弁当持参で、圧倒的に少ない人たちには特別食。。
この不公平感は一体なんでしょうかね。
みなさんは、どうお考えですか?
では、また(^^ノ
*1:https://www.bbc.com/japanese/54336284
*2:https://hypebeast.com/jp/2021/3/tokyo-disneyland-tokyo-disney-sea-ladies-and-gentlemen-boys-and-girls-announcement-abolition-news
*3:https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5f757aaec5b6d698bb283bef
*4:https://www.huffingtonpost.jp/2018/03/19/setagayaunifrom_a_23389202/
*5:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/75394
*6:https://www.sankei.com/article/20191212-TBVJMC6SMBJPXOYUH6RLTWYGM4/
*7:https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2015/03/26/1355518_1.pdf
*8:https://www.foodallergy.jp/wp-content/themes/foodallergy/pdf/manual2020.pdf