マルチリンガル医師のよもやま話

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高度経済成長期を振り返る

industry(産業)という単語には形容詞が2つあります。

1つはindustrial(産業の)、もう1つはindustrious(勤勉な)です。受験勉強で覚えたのではないでしょうか?笑

さて、元々はラテン語で industria というものがありましたが、これの意味は「勤勉」でした。そう英語に入った15世紀ごろはindustrious(勤勉な)という意味がメインでした。

昔は一人で勤勉に働くのが普通でしたが、その後、時代とともに大きな工場などで集団で働くようになりました。そしてできたのがindustrial(産業の)という意味合いですね。産業革命でモノ作りなどは一気に加速しました。

 

さて、今回は近代史シリーズとして、日本の高度経済成長期について学びましょう。高度経済成長期は4つの好景気が続いたことで起こりました。

 

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経済成長

経済成長はいくつかの条件がそろうと飛躍的に加速するといわれています。その条件と言うと次のようなものが挙げられます。

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ま、ものすごく簡単に言うと、十分な需要があってそれを満たすために十分な資源と労働力があれば経済は成長しますってことです。

前回の記事でも紹介しましたが、今の日本は少子・高齢化社会で労働力が減るし、消費しまくる(=需要)がありません。なので経済成長しません。

これがすべてです。(悲)

日本の経済成長についてはコチラ

www.multilingual-doctor.com

 

太平洋戦争終了後

日本の高度経済成長期と言うのは1954年から1970年までの16年(神武景気~いざなぎ景気)のことを言います。高度経済成長期の定義は一般には実質経済成長率がおおよそ10%以上になる状況をいうようです。

ここでは戦後から神武景気までの間(高度経済成長期の前)の経過を見てみましょう。

戦争により多くの生産工場などが被爆し機能しなかったため、日本のモノ不足は深刻で物価が高騰していました。さらに戦争賠償金の支払いや、戦時国債の償還が必要でした。

日本は戦争中に資金調達のために国債(=戦時国債)を国民にたくさん売りつけていたのです。

そこで日本政府は中央銀行にお金をどんどん刷らせて、そのお金で日本国債を買わせたのです。そうして得たお金で戦時国債の償還や戦争賠償金支払いに宛てました。

当然、世に出回るお金の量が増えると、お金自体の価値が下がり(=物価が上がる)ます。3年間で100倍にもなったと言われています。

 

ドッジラインとドッジ不況

これに対してGHQの経済顧問をしていたドッジ氏がこのハイパーインフレを是正すべくドッジライン(1949)を制定しました。

これは簡単に言うと、

  • 政府の予算を切り詰めて支出を減らしなさい
  • その予算内で国債など借金返済をしなさい
  • 単一為替制度で1ドル=360円にしなさい

これらを日本に提言し、日本経済の自立を促しました。

実はそれまで、日本では商品によって、「この商品は1ドル=200円で」「これは1ドル=120円で」と言う風に複数為替制度を取っていました。しかし世界標準は単一為替制度です。
1ドル=360円になる超円安になりました。この急激な変更により、輸入業者はめちゃくちゃ損して、ドンドンと倒産しました。(一方で、円安は輸出には有利!)
これに伴い起こった不況をドッジ不況と言います。

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ジョセフ・ドッジ(右)

朝鮮戦争特需

しかし1950年朝鮮戦争が勃発します。米軍は日本へさまざまな物品の発注を行いました。軍服、テント、コンクリート、食料など広きにわたります。
1952年には三菱重工業などに兵器や砲弾などの生産が許可されましたが、当時の日本の工場は機械化もままならず、品質も劣っていたため軍事機器を作るのはリスクがあると考えられていました。そこで、アメリカから日本の工場へ出向き、大量生産や品質管理のノウハウが教えられました。
こうして日本は一気に工業国への復帰の第一歩を踏み出しました

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神武景気

朝鮮戦争特需のあとも日本経済は不安定でした。しかし1954年以降、船舶、鉄鋼の輸出ブームによって神武景気(1954-1957)が起こり、戦前最高水準を超えるレベルまで日本経済は回復しました。
「初代神武天皇が即位して以来、例を見ない好景気」として神武景気と呼ばれています。この好景気により名言「もはや戦後ではない」が生まれました。
また、3種の神器(TV、冷蔵庫、洗濯機)も登場しました。
神武景気は3年続き、その後また不況(なべ底不況)になりました。

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岩戸景気とオリンピック景気

なべ底不況ののちに3年半近く続く岩戸景気(1958-1961)が訪れました。神武景気よりも長かったため、神武天皇からさらにさかのぼって天照大神が天の岩戸に隠れて以来の好景気」ということから名づけられました。

その後また少し経済は停滞しますが、1964年 東京オリンピックが開催されました。それに向けて東海道新幹線首都高や地下鉄の整備、ホテルの建設ラッシュで好景気を迎えました。オリンピック閉幕とともにこの好景気は収束しました。これをオリンピック景気(1962-1964)といいます。

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いざなぎ景気

神武景気と岩戸景気を超える好景気ということで、神話で日本列島を作ったとされる伊弉諾尊(いざなぎのみこと)にちなんでいざなぎ景気(1965-1970)と名づけられました。
国債発行して公共投資を行ったことで景気がよくなりました。1965年11月から57か月もつづきました。そして1968年にGNPで世界2位になり「東洋の奇跡(Japanese miracle)」と呼ばれました。
GNPとGDPについてはコチラ

高度経済成長期の終焉

高度経済成長期の終わりは1971年のニクソンショックと呼ばれるドルショックです。アメリカは金とドルをいつでも交換できるようにしていたのですが、ベトナム戦争(1955-1975)で財政が悪化し金がアメリカ国外に出て行ってしまい、交換できなくなったのです。
このときに1ドル=360円の固定相場が崩れて、円高になったので、日本としては輸出が停滞し始めたのです。
さらに、1974年のオイルショックで日本の経済成長率は初めてマイナスとなりました。
オイルショックについてはコチラ