マルチリンガル医師のよもやま話

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なぜ関西に3つも空港があるのか

近畿に住んでいる方で海外旅行行く際にお世話になる関西国際空港。一昨年の台風で橋桁にタンカーがぶつかったニュースなどもありましたね。

ところでこの関西国際空港ができるまでには様々な葛藤と思惑があふれていました。その結果、関西に3つも空港がある今の状況ができたわけです。

 

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伊丹空港の開業

3空港で最初にできたのが伊丹空港(ITM)でした。伊丹飛行場は日本陸軍が所有していましたが戦後にGHQが管理を行い伊丹エアベースと呼ばれました。1958年にやっと日本に返還され、「大阪空港」となり、翌年に「大阪国際空港」となりました。この時は国営です。

実際、この空港は大阪府豊中市池田市と兵庫県の伊丹市に接していましたが、昔からの名残で ”伊丹空港” という呼称が定着しているようです。

その後、日本は高度経済成長期に入っており、航空需要が高まり、伊丹空港は拡張することになりました。しかし、時を同じくして、大阪のベッドタウンとして空港周辺の宅地化も進んだのです。

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空港反対運動

経済成長期に拡張工事をし、ジェット機の発着便も増えた伊丹空港。しかし、周りは住宅地も増えていき、騒音問題が取りざたされたのです。

国としては1970年に大阪万博を控えていたため、伊丹空港の拡張は急務でした。地元の反対運動も強かったため、政府は地元との交渉で「国際便の移転」を約束することで拡張工事を大阪万博までに無事に間に合わせることができました。

その後も騒音問題などで空港廃止運動が続きました。

 

関西空港の選定

その後、国としても大阪国際空港(伊丹空港)の廃止を前提に新しく移転する計画を模索しました。24時間運用を前提として騒音問題を重視し、陸地から5km以上離れている海の上を候補としています。神戸沖なども含め4か所が候補になりました。そこで、最終的に選ばれたのが現在の関西国際空港のある泉州沖でした。こういった事情から市街地から離れたところに新国際空港を作るしかなかったのです。

依然地元での反対は続いており、政府としては環境アセスメントに力を入れることで地元への理解を求めました。さらにもう一つは地元への ”飴” ともいわれるりんくうタウンの建設です。新空港の対岸に埋め立て地を作り商業施設を作ったのです。

 

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淡路島も候補だった

淡路島も候補だった

実はこの関西国際空港の選定中に淡路島も候補にして挙げられました。淡路での反発は特にキツかったようで、成田空港の反対運動(三里塚闘争)を行っていた団体と手を組むなどしていたようです。この成田空港反対運動は今では考えられないような「命をもらう」などと言った脅迫なども普通にありました。さらには当時は学生運動も活発で、この運動に新左翼団体も加わって京成電車に放火したり、列車妨害を行ったりとほんとにムチャクチャでした。

今や一般人誰しもパスポートと少量のお金があれば海外旅行も気軽に行けるようになりましたが、当時では飛行機に乗る人などごくごく一握りでした。多くの地元民にとって飛行機など遠い存在で、騒音や墜落事故など迷惑でしかなかったという時代背景もあると思われます。

 

神戸市の方針転換

「神戸の沖に空港なんて作らせへん」という方針を貫いてきた神戸市ですが、泉州沖に関西空港新設に向けて事が進み始めると、神戸市は都市開発で出遅れる危機感を覚え始めました。

神戸「やっぱりうちで空港作ってくださいな」

大阪「お前ふざけんなよ、反対やったやんけ」

運輸省「もう泉州沖で決まっております」

神戸「・・・」

神戸「ほな認めますから神戸にも空港作ってください」

こういう交換条件で神戸空港も後に作ることになりました。

しかし、神戸空港を作るにはいくつかの問題がありました。

  • 大阪湾の環境汚染問題
  • 採算性の問題

そう、近くに伊丹空港、関西国際空港があるため、採算性に疑問が持たれていました。

 

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伊丹空港の存続決定

騒音問題などで一時は伊丹空港廃止を求める運動まで行われていたため、関西空港開業後は伊丹空港はなくなると思われていました。

住民A「騒音問題も環境問題もだいぶようなったしな」

住民B「関西空港なんて遠すぎて不便やしな」

運輸省「航空需要は増えるから関空だけでは・・・」

航空「不便な関空やと東京-大阪の客が新幹線に取られる」

こういったみんなの利害関係が一致し、伊丹空港は存続することとなったわけです。

そして1994年ついに関西国際空港(KIX)が開業しました。

 

神戸空港の開港と発展

採算性などが問題視されていた神戸空港にも動きがありました。1995年の阪神・淡路大震災です。甚大な被害を負った神戸市では負債がかさむ一方でした。市民の感情的にも「復興が優先で空港建設してる場合ではない」といったものが見られました。

ところが神戸市議会の議員では神戸空港「賛成派」が多数を占めていたため、そのまま着々と建設が進み、2006年に神戸空港(UKB)開港しました。

神戸空港は中心地の三宮から鉄道・バスどちらも約20分で結ばれるため利便性もよく、予想外に旅客数を増やしました。そうすると、離発着便の規制緩和を求める声が上がり、増便が繰り返されています。

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3空港の経営統合

近いところの3つの空港が存在するにはそれぞれ足並みをそろえた役割分担が必要であるということでまず2015年に伊丹空港と関西空港が関西エアポートとして経営統合されました。そして2018年に神戸空港も民営化され、関西エアポート神戸という関西エアポートの100%完全子会社となりました。

 

まとめ

伊丹飛行場から発展した大阪国際空港(伊丹空港)

航空需要の高まりとともに騒音問題や環境問題が取りざたされた

移転候補として神戸と泉州を含め4か所が検討された

候補各地では激しい反対運動が行われた

最終的に泉州沖で決着するも神戸も空港が欲しいと名乗り出た

関西空港開港後も様々な利害関係から伊丹存続で決定

こうして関西3空港となり、現在は経営統合されている