マルチリンガル医師のよもやま話

マルチリンガル医師の世界観で世の中の出来事を綴ります

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【サク読み】バレンタインデー~ある男の物語~

バレンタインデーの思い出はみなさんどんなものがありますか?

男性のみなさんでは、普段より遅くまで学校に残っていたりとか?自分の机の中にチョコレートが入ってないかとこそっと確認してみたり?

女性側からしたらどんなものなんでしょうかね?「2月になってから急に優しくなった男がいた」とか・・・笑

そんなこともあるんでしょうか (^^)

今日はせっかくなのでバレンタインデーについて学びましょう♪

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ローマ帝国での物語

ローマ帝国の皇帝クラウディス2世は兵士の婚姻を禁止しました。愛する者を残して戦場に行くと兵士の士気が下がるからです。

キリスト教の司祭であるValentinusはこういった兵士たちをかわいそうに思い、秘密裏に結婚式を行っていました。ところが皇帝がそれを知り、Valentinusに警告しました。しかし、彼は結婚式をやめませんでした

怒った皇帝はValentinus を処刑しました。その日が2月14日だったと言われています。そのため、キリスト教ではこの日を祭日とし、「恋人たちの日」となりました。

日本での流行

戦前に日本に住んでいた外国人の影響で少しずつ広がりました。旧居留地などが残る神戸は「日本バレンタイン発祥の地」とされています。

神戸では日本開国後に外国人が居留地に集まって住むようになりました。それにより西洋の文化も入ったため、西洋菓子などのお店も多いです。神戸にあるモロゾフ製菓がバレンタインチョコを考案したと言われています。

神戸異人館・居留地

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独自の文化

女性から男性に送ることとチョコレートを贈ることは日本独自とされます。海外では男性から女性に花やクッキーなどを贈ったりもします。

 

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その日本独自文化はさらに発展し「本命チョコ」や「義理チョコ」なんて言葉まで生まれました。

1970年代頃は呼応する形でホワイトデーの文化が定着し始めました。

因みにお隣の国・韓国にはブラックデーと言うものがあります。これはバレンタインデーもホワイトデーも縁がなかった人たちが4/14に集まって黒いもの*1を口にするイベントです。

モロゾフの悲運 

上でも書きましたが、神戸にあるモロゾフ製菓が最初にバレンタインイベントを行ったとされます。本店があった阪神御影駅前には「バレンタイン広場」があります。

ちなみにモロゾフ氏のフルネームは Valentine Fedorovich Morozoff

これは偶然なのでしょうか・・・

モロゾフ氏はロシア革命(1917)を逃れアメリカへ行きました。その後、1924年に家族とともに日本・神戸に来ました。そして1931年に神戸モロゾフ製菓を始めました。

営業は順調に行っていました。ところが会社の経営方針において日本人出資者と対立しました。その後、裁判にまでなりましたが、モロゾフ氏は日本語が得意でなかったため裁判も思うようにいきませんでした。結果としてモロゾフ製菓からの排除モロゾフ製菓の名称使用禁止とされてしまうのです。

むちゃくちゃな話ですね。

さらに、弱みを握られているので、この条件を飲むしかなかったのです。そう、飲まなければ、逃れてきたソビエト連邦への強制送還です。設立者のモロゾフ氏はこうして敢え無くモロゾフ製菓から排除されました。

モロゾフのさらなる悲運

戦後、モロゾフ氏は神戸でコスモポリタン製菓を開きました。その後も順調に経営を行い、東京・大阪に支社も出しました。

1999年 モロゾフ氏が他界し、息子が後を継ぎました。しかし2006年に業績不振により自主廃業となりました。

マクドナルド兄弟の悲運な物語

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まとめ

バレンタインデーは結婚を禁止された兵士のために秘密裏に結婚式を行った司祭にちなんで作られた恋人の祭日である

日本では戦前から広まり始め、その後ホワイトデーなど独自の文化ができた

海外では必ずしも【女→男】【チョコレート】ではない

日本で最初にバレンタインチョコを考案したモロゾフ氏には悲しい物語がある

 

*1:ジャージャー麺やコーヒー