第二次世界大戦の終戦から今年で76年になります。
ところで、なぜ原爆が日本に落とされたと思いますか?学校ではどう習いましたか?
”日本帝国は侵略戦争をし、悪い国だった。”
”アメリカの原爆により日米とも死者を少なく終戦を迎えた。”
こんなもんでしょうか。
さて、唯一の被爆国の国民として、原爆についてもう少し踏み込んで学んでみましょう。
ナチスの誕生
ドイツは第一次世界大戦でロシアに勝ち、フランスにも攻めていました。優勢と見られていたところにアメリカの参戦もあり、結局敗戦 となってしまいました。
巨額の戦争賠償金の支払いの上に、世界恐慌が襲い、ドイツ経済は深刻な状況となりました。そんな中で、力を持ったのが国家社会主義ドイツ労働者党=ナチ党(ナチス)でした。
敗戦による深刻な経済状況を打破し、国民をまとめるには ”共通の敵” が必要です。
そこで、ナチスはユダヤ人の裏切り(背後の一突き)で敗戦になったことにしました。こうしてドイツ人を反ユダヤでまとめました。
今まで融和して暮らしてきたユダヤ人は急に攻撃されるようになりました。
その後ヒトラー率いるナチスは、国をまとめたことで次第に雇用・経済状況も好転していました。
核兵器開発
ちょうどこのころ、科学界では核分裂などの研究が進んでおり、軍事転用、すなわち核兵器の開発が始まりだしていました。
ナチスの核兵器開発を察知したユダヤ人科学者たちは、危険を感じ、アメリカのルーズベルト大統領に書簡を送りました。そう、この科学者の一人が有名なアインシュタインです。
彼らは、ナチスが原爆開発に成功し、実際に使用する前にアメリカが原爆を開発しナチスを牽制するように求めました。
これに危機感を覚えたアメリカは、自らも核兵器開発に力を入れることとなりました。
そして1939年 ナチスとソ連によるポーランド侵攻を皮切りに第二次世界大戦が始まりました。
マンハッタン計画
アインシュタインらからの書簡ののち、アメリカは同盟国とともに核兵器開発に向けて進みつつ、情報を集めました。
1942年になってついにアメリカは核兵器開発プロジェクトを承認しました。この計画はマンハッタン計画と呼ばれ、秘密裏に進められました。
動員された科学者たちにも詳細は知らされず、全体像を知っているのは上層部だけでした。しかし、1944年の下半期にはナチスは戦況も悪くなっており、とても核兵器開発などできる状況にありませんでした。
そして、1945年4月 追い詰められたヒトラーは自殺し、その後5月7日に降伏しました。
後の調査では、ナチスは原爆の開発を始めた事実はなかった*1こともわかっています。
フランクレポート
間もなく完成の20億ドルとも言われる開発費を投じた核兵器を使わずに終わるわけにはいかない。また、今後来るべきソ連との闘いを有利に進めるためには原爆の完成と威力を見せつけたいというのが本音でしょう。
となると、原爆を使う絶好のチャンスは、もちろん日本です。
しかし、科学者たちは、これを察知し日本への原爆投下をしないように求めました。これがフランクレポート*2です。
日本への原爆使用を中止するように求めたのはこのフランクレポートだけではありません。
2度目の手紙
原爆が日本に使われそうになることを知ったアインシュタインらは改めてルーズヴェルト大統領に書簡を書きました。
そう、自分たちが科学者として参加していた原爆の開発により、多くの人の命が奪われるのは受け入れられないからです。
ところが、面会の直前にルーズヴェルト大統領が脳卒中で急逝しました。引き継いだトルーマン大統領は、そのときはじめてマンハッタン計画について知りました。
アインシュタインの同僚の科学者たちは、何度も原爆の使用中止を訴えますが、受け入れられることはありませんでした。
そして・・・
1945年8月6日
真夏の月曜日の朝、広島にリトルボーイが落とされました。ウラン型の原爆です。
そして3日後の木曜日、今度はプルトニウム型のファットマンが長崎市内に投下されました。
わざわざ違う種類の原爆を使用しました。その威力を知るための実験です。
広島、長崎では原爆が落とされ、それぞれ14万人以上*3、7万人以上*4、合わせて21万人以上が亡くなりました。
そして8月15日、日本は無条件降伏しました。
なぜ広島?長崎?
日本の戦争を早く終わらせるためならば人口の多い東京に落とすのが理にかなっています。なぜ広島や長崎なのでしょうか。
まず大都市は既に焼夷弾による空爆で被害を受けていました。そこに原爆を使用しても原爆の威力を測ることができないからです。
そして、空爆をまだ受けていない、ある程度大きい規模の市街地で盆地が候補に挙がりました。そして、第一目標は京都*5でした。
しかし、これには反対意見が多かったのです。長い歴史を誇る京都を壊滅してしまうと、戦後の日本人の反発が大きいと予想*6されるからです。
最終的には、長崎、広島、新潟、小倉が候補になりました。そして、8月6日の第一目標は広島と決まりました。視界不良もなく、リトル・ボーイは広島の市街に落とされました。
広島に連合国軍の捕虜収容所がない*7というのも理由の一つとされます。米軍の捕虜が原爆で死んだら都合が悪いですからね。
その後、8月9日は第一目標は小倉でしたが上空視界不良のため、第二候補の長崎に変更となりました。
ABCC
戦後、アメリカの科学アカデミーがABCC(=原爆傷害調査委員会)を設立しました。
日本名の通り”調査”のためだけの機関であり、被爆者の治療などは一切されませんでした。
当時は、放射線による人体の影響などもまだそこまでわかっていませんでした。その為のデータを取っていたわけです。
今、私たちがレントゲンやCTを安全に撮れるのは、このときのデータの蓄積が非常に役立っているということは、医療者として色々と考えさせられるものです。
ABCCは現在もうなく、1975年以降、日米合同出資の放射線影響研究所に変わっています。
日本被団協
アメリカの原爆被害に遭った人たちが集まって作られたのが日本被団協です。
被害に遭った人たちが力を合わせて、被爆者の救済に当たったり、核兵器の撤廃に向けて動いているのはご存知でしょう。
しかしながら、こういった『会』ができると必ずそこには”後ろ盾”が出てきます。社会党(現:社民党)と日本共産党です。
実は、元は1つだった団体が2つに分裂しました。理由はソ連の核実験(1962年)です。共産党らは核兵器の廃絶を訴えるが、ソ連など社会主義国の核実験を容認する立場をとることで、分裂しました。
どうやら共産党によると「ソ連や中国の核は『きれいな核』」 *8*9だそうで。。
ところで、菅総理が長崎原爆式典に1分到着が遅れて到着し、『被爆者団体から批判の声』という記事も後ろ盾の政党を知っていれば、「なるほど」となりますね。
さいごに
いかがでしたか。
授業でさらーっと流される近代史ですが、本来なら一番しっかりと学ぶべき所です。
日本は、全国民を煽動し戦争へ向かわせたことや、他国への”侵略”行為は決して許されることではありません。
しかし、アメリカも原爆によりたくさんの日本人を殺しました。原爆での大量殺人は”正義”だからと裁かれていません。また、他の強豪国は『植民地』をたくさん持ちました。
そう、歴史は戦争に勝ったものが都合よく作り変えています。
いずれにしても、当時は世界中が異常な時代でした。正義も悪も後付けの定義にすぎません。人殺しに正義はありません。
だからこそ、人間同士が殺し合うような悲劇は決して繰り返してはいけませんし、政治利用するのもいけません!
では、また(^^♪
【学校で教えてくれない近代史シリーズ】
▼徴用工問題を年表から▼
▼慰安婦問題の真相▼
▼竹島は日本の領土▼
▼尖閣問題について▼
*1:https://www.nytimes.com/1988/11/13/magazine/hitler-and-the-bomb.html
*2:http://www.dannen.com/decision/franck.html
*3:https://www.city.hiroshima.lg.jp/soshiki/48/9400.html
*4:http://city.nagasaki.ajisai-call.jp/faq/show/3705?site_domain=default
*5:http://www.dannen.com/decision/targets.html
*6:https://www.bbc.com/news/world-asia-33755182
*7:https://hiroshima-navi.or.jp/post/033931.html
*8:兵本達吉『日本共産党の戦後秘史』(産経新聞出版、2005年)p.311-312
*9:黄文雄 (評論家)『2008年の国難: 日本の敵は!?味方は!?』(ビジネス社、2007年)p.207